「ん…む」
うっすらと開けた目に飛び込んできたのは、冷ややかに自分を見下ろす女の顔。
一瞬、奇妙な既視感を覚えるが、すぐに自分が置かれた状況を把握した。
『神』である自分が、それも四神の一人と恐れられる自分が、人間などに負けた恥
辱と怒りが身体を熱く染め、精神を支配する。
が、此処でそれを顕にするわけには行かない。
仕方なく、あの野郎、と毒づくのみに止め、自分を再生させた女の顔を恐る恐る窺う。
なにしろ、息巻いて下界に降りた手前、同じ四神であり、敬愛している彼女からどん
な中傷と誹謗と嘲りで罵られてもおかしくは無いのだ。
2m以上の巨体を硬くし、首を竦めたが、何時まで経ってもそれらが飛んでくる気配
は無い。
代わりに降ってきたのは、殊更素っ気無い言葉。
「もう、いいわね。私は下界に戻るわ」
驚いて飛び起きるも、彼女の姿は既に紅玉へと変わったあと。
呆然と飛び去る光を見送り、すぐ近くで敬礼しながら光を見送っていた男に視線を移
した。
「おい、アモン」
「なんだ、負け犬」
癪に障る音声で返された返答に、今度は巨体が怒りに震える。
「んだとぉっ!?」
「間違っているというのか?え?」
今まで読んでいたらしい分厚い本を音を立てて閉じると、アモンは軽蔑の眼差しを男
に向けた。
「人間如きに敗北し、エリーヌさまの御手を煩わせておきながら、違う、と言い張れる
つもりなのか?」
「……う………ぐっ…」
元々、論争には向いていない男。
大した事は言わずとも、簡単にあしらえる。
つくづく扱いやすい男だ、とアモンは思う。
「それで、どうした。何か、言いたい事があるのではないのか?ガデス?」
ちょっと話題を変えると、単細胞の鳥頭はいともあっさり怒りの波動を引っ込める。
「おぅ。そうだ。エリーヌ様は一体どうされたのだ?」
「…どう、とは?」
「……上手くは言えんが、雰囲気が違っているような気がしたのだが」
「…ほぉう」
「何時ものエリーヌ様なら、オレが目を覚ました時点で何か辛辣な言葉なりあったはずだ。
だが、何も言わないばかりか、微笑んでさえおられた…!」
「冷笑ではないのか?」
「いや。見間違うはずなど無い。なにか、こう…そう、人間臭い、なにかが」
非力で欲深く浅ましい生き物。
あんなものが大地を我が物顔で支配している事自体が罪だ。
あの美しい大地は、我ら神族にこそ、相応しい。
アモンはエリーヌが行ってしまった窓の外を見つめながら聞いていたが、ふ、と小さな息を吐いた。
「…成程な。お前にさえ解るのなら、あながち気の所為、というわけでもなさそう、か…」
「!?お前も何か知っているのか?!」
「ああ。あの方は、下界に降りられる前と確かに雰囲気が変わられたからな。
流石に、あの方に心酔している者は違うな」
「どういう意味だ、それは!!」
冷やかされ、思わず声を荒げたが、すぐにまたそのトーンを落とす。
「このままで良いのか、アモン?下界の人間…あのマキシム達がエリーヌ様に何らかの影響を
与えてるんじゃないのか?」
「…む。だが、大丈夫だろう。あの方は我ら神族にとってはまさしく再生の女神であらせられるが、
人間にとっては殺戮の神の面しか見えぬ筈。
相反する者同士、その可能性は低い筈だ。
まして、人間に心を奪われるなど…あの方は高潔だからな」
「……そう、だろうか」
納得いかないままに、紡ぎだされた言葉には、消えぬ不安が滲んでいた。
高速で飛行する紅玉は、アストラーダ海域上空を旋回していたが、やがてアスターク大陸、海岸近く
の小さな森の中に舞い降りる。
光はみるみるうちに、美しい女の姿を取ったが、フードで半分以上顔が隠されている為に、その魅力
は半減していた。
最も、彼女には美貌が云々、などとはどうでも良い事だったが。
一見、占い師風の格好をした女は、近くに在る街トレアドールへと向かう。
以前訪れた時と同じく、人々の活気と人情に溢れた街だった。
一年前、風光明媚で知られる中堅都市ゴードバンが一夜のうちに破壊されつくした、という噂は世界の
何処へ行っても聴こえる。
それなのに、自分たちには程遠いと思っているのか、すでに諦めてしまっているのか定かではないが、
『彼等』が思っているよりはこの街の人間から昏い波動は殆ど見受けられない。
「…それとも『彼等』の影響なのか…」
呟いたのは、先程の『彼等』とは違う意味。
『彼等』はとうに、この大陸を離れ、激戦を繰り返しながら南に進んでいる。
『彼等』の下へ赴き、行き先を示す事が、自分に課せられた役割。
なのに今、全く関係の無いこの街へと舞い降りたのは、以前は感じられなかった極微量の波動を感じ
取ったからだ。
人波を掻き分けながら、それを発する根源を探す。
街の南北を貫く大通りを曲がり、市場へと続く細い通りへと入る。
この街を潤す活気に満ちた大きな声があちらこちらで上がっている。
見ているだけで胸が一杯になりそうなほど無造作に詰まれた果物の山、不思議な形をした魚、色鮮や
かな民族衣装。
どの街でも見た光景。
そして、どれひとつ自分には縁の無い代物。
煩い、と感じていた喧騒と人波が、気にならなくなったのは、一体何時だっただろう。
そんな市場通りの片隅で、見つけた。
粗末な…世辞でも店などと言えるような形すらも無い、小さな小さな花屋。
それをフォローして余りある、所狭しと置かれた鉢では数え切れないくらいの種、様々な色の花が咲き
誇っていた。
(花、だと…?)
いかぶし気に女は眉を顰める。
人間は勿論、この世界に生きとし生けるもの総て命という名の波動を放つ。
花とて例外ではない。
だが、たかだか花ごときに、自分が気に掛けるような波動が出せる筈が無い。
(何故…?)
思わず、足を止めてしまった彼女を、向日葵のような明るい声が向かえた。
「あ。いらっしゃいませ」
屈んで手入れでもしていたのだろうか。
化粧っ気がない所為か、不意に立ち上がった金髪が美しい少女は随分と幼く見えた。
何故か、逡巡したのち、にっこりと微笑む。
「どうぞ。あんまりたくさんは置いていませんけど。ゆっくり見て行ってくださいね」
土まみれの手を誇らしげに大きく広げる。
花の事はよく解らなかったが、手入れは良く行き届いている、と思った。
どの鉢をとっても、彼女の誠意と愛情が込められているのが、花の放つ波動から感じる。
だが、総ての花を見て回ったが、自分が感じた波動を放つ花は無い。
確かに此処から発せられているのは間違いないと言うのに。
「どうですか?何か、お気に入りの花は有りました??」
「……え、ええ。どれも綺麗だわ」
「ありがとうございます」
「でも、此処の花は総て鉢植えなのね。切り花はないの?」
褒められて朗らかに笑った少女に視線を移すと、彼女はくすぐったそうに肩を竦めた。
「はい。お店を持った時から、ぜひ鉢植えをやりたいって思ってましたから。
あ。でも、ご要望が有ればお分けできますよ」
「いえ、いいわ」
「そう、ですか?私、ある花を増やす事に夢中になってるんです。鉢植えに拘るのは、その所為かも
しれませんね」
「ある花?」
「あ。今、此処には置いてないんですよ。売ることが出来るほど増やせていないし、何より育てるのが
意外と難しいんです」
それがいいんですけどね。
笑いながら先程の場所へ腰を下ろすと、すぐにまた立ち上がった。
「これです」
その両手の中に抱えられた鉢には、見た事の無い白い花が一輪。
「!」
切れ長の瞳がフードの中で大きく見開かれた。
「…見た事の無い、花ね」
…これ、か。
「そうでしょう?私も最近見つけたんです。つい先日、やっと何輪かに増やす事が出来たばかりなんです」
太目の茎が負けそうなほど、うっすらと青色を孕んだ白く大きな花弁。
「そう…」
(こんな花が何故?…波動を放っていると言うよりは、残留波動を抱え込んでしまっていると言う方が
正しい、と言うことか)
その僅かな余波と、花本来の波動が完全に混じってしまっている。
だが、間違いなく、これは『彼等』の波動。
「この花はどうしたの?」
自慢の花に興味を持って貰えたのがよほど嬉しかったのだろう。
少女は笑みを零したまま、実に楽しげに語りだした。
「もう、だいぶ前の話になるんですけど。病気でこの花を摘みに行けなかった私の代わりに、旅の方が
取って来て下さったんです。
そのうちの一人が女性だったんですが、その方が名前まで付けて下さったんですよ?」
名を聴かずとも容易に想像できた。
今、この世界に確実に安全な場所など限られている。
この辺りにも獰猛な魔物が激増した。
『彼等』はこの他人の為に、命を賭けてまでこんな小さな花を摘んできたのだ。
こんな悠長な事をしている場合ではないのに。
愚かだ、と思う。
だがしかし、その愚かさが実に『彼等』らしいとすら思える。
余計な感情を持たない神族。
その中でも畏怖される四神の一人、殺戮の女神と言われ永い時を生きてきた女の胸に、確かに何かが
息づき始めていた。
温かいようで痛いようで、もやもやとした不快で、でもそれだけじゃない。
言いようも知れない不思議な感覚。
「そうなの…それで、この花の名は?」
「プリフィアといいます」
「プリ…フィア…?」
初めて女の声に驚愕の音が混じる。
小さくその名を繰り返す女を少女はじっと見つめていたが、鉢を持った手を伸ばした。
「どうぞ。宜しければ差し上げます」
「でも、それは売り物では無い、と…」
「そうですけど。気に入って下さったみたいですし。ちょっと育て方が難しいですが、私なりに纏めたメモ
も差し上げます」
「何故…?」
「…おかしいですよね」
躊躇いがちに、少女は言う。
「さっき、初めて貴女を見た時、似てるなって思ったんです。あの時の人たちに。
変ですよね。ちっとも似てないのに。
…なんて言うんでしょうか。上手く言えないんですけど、ずっとずっと深いところが同じな気がしたんです。
おかしい事言ってますね、私。ごめんなさい」
「いいえ。気にしないわ」
彼女が言うものはまさしく当たっているから。
神で在る自分と、神に近づいていく人間。
やがて、このふたつは全く異なりながら、同じものになるだろう。
受け取った鉢を胸に抱える。
もしかすると。
女は自分で自分の考えに苦く笑った。
何処でこんなにも、人間臭くなったのだろう、と。
この花が、名を付けた者に感謝しているなどと。
この名を付けた者は知っていたのだろうか。
それとも、ただの偶然?
きっと彼女は誇らしげに名付けたに違いない。
「『愛を知るもの』…か」
世界を巡る事など、造作も無い。
この世界を大きく形作る4大大陸を回る事も。
各大陸の行き来を困難にさせる魔海を渡る事も。
そして。
この花が何処の気候に合うかすらも。
何時か。
出来る事なら何時か。
この花が咲き乱れたその時に。
何時か、その場所へ―――――
「………ィア………………ルフィア!」
「……………。あれ、セア?」
「あれ?じゃないだろ?さっきから呼んでいるのにぼーっとしてるから、オレ……」
「あ。もしかして心配してくれたとか?」
「…誰が!お前がその…なんて言ったっけ?それ…」
「プリフィア!」
「ああ、そうそう。お前がそのプリフィアを好きなのは解るけど、朝から晩までそこに居て、よく飽きないよな」
「あったりまえでしょ。此処に生息している事自体珍しいのよ。
まして、花を付けるなんて凄い事なんだから!」
「ふぅ…ん」
此処まで思い入れる理由がセアには解らなかったが、取り敢えずは頷いておく。
気の強い彼女を怒らすと後が怖い。
それは長年幼馴染みをやってきた自分が一番知っている。
不承不承頷たセアを確認して、再びプリフィアへと顔を向けたルフィア。
その優しい眼差しを独り占めに出来るひととき。
彼女を見る目も次第に柔らかくなっていく。
大の花好きで、家事なんかも得意な部類。
淑やかそうに見えて、勝気でわがまま。
一日で何度もケンカを繰り返した事も多々有った。
大体は売られるケンカ。
何が原因なのか、今もって解らないケンカも数え切れないほど。
やってられるか、と思いながら、こんな彼女の側面を見るたび、まあいいか、と思う自分が情けないとも甘い
とも、つくづく思う。
(ったく)
心の中に染み渡っていくなんとも言えない安堵感を噛み締めつつ、絶対に悟られたくなくて彼女に見られな
いように思いっきり毒づいてみた。
「そういえばさ、セア」
「な、なんだよ…」
髪と同じ青い瞳を急に向けられ、心が跳ね上がる。
それを悟られないために、低い声が出た。
「剣の稽古はどうしたの?」
「……どうしたって…」
ほっ、とため息を吐く。
「終ったに決まっているだろ。
帰ったら宿の前でお前の事を聞かれたから、きっと此処だろう、と思って来たんだよ」
「なぁんだ。迎えに来てくれてたの?」
「…別に。なりゆきだ」
「………まぁ、いいけどね。ね、今日の試験、どうだったの?」
「何とかな。これなら軍の入隊試験も受けるだろうってさ」
「そう、良かったわね。これでセアも晴れてアレキア王国国軍の一員ってわけね」
「まだ、受かったわけじゃないぞ」
「受かったも同然よ。あそこのレベルの低さは誰だって知ってるわ」
平和の象徴。
彼の先祖が命を賭けて齎した。
「それじゃ、オレが弱いみたいじゃないか」
苦笑する。
「そうは言わないわよ。だって貴方は虚空島戦役の勇者の子孫だもの。弱いわけないじゃない。
それに、勇者の子孫、と言うことにかまけずに努力していた事もちゃんと知ってるわ」
「…………………………」
素直に褒められる事が逆に気恥ずかしくて、セアは顔を逸らす。
しかし、その後に呟かれたルファイアの言葉に、すぐ視線を戻した。
「でも…そうしたら、セアはどっかに行っちゃうんだね」
「何でだよ。オレが何処に行くって言うんだ?」
「遠征とかにも行くようになっちゃうでしょ?」
「そりゃ…必要が有ればそうなるかもな」
「………セアはどんどん遠くに行っちゃうね。あたしには…あたしは手が届かなくなっちゃうね」
「―――――!」
即答出来ずに、小さく開かれた口を引き締めた。
ルフィアの瞳に落ちた影は色濃く、訪れた沈黙に耐えかねて、頭を掻きながら言葉を捜す。
しかし、出てきたのはただのひと言だけ。
「……大丈夫だよ」
そのひと言に、ルフィアが青い目を向けてくる。
「…だからその…オレを信用しろよ」
決まり悪そうに恥ずかしそうに。
でも、真っ直ぐに彼女を見て紡がれた言葉に、ルフィアも微笑みを取り戻す。
「…うん!」
一歩二歩軽やかに躍り出て、彼の腕を取った。
「あ!お、おい…」
腕を払いかけて、止める。
複雑な笑みを浮かべながらも、されるままに腕を組まれる。
「ね。セア?」
「なんだ?」
「あたしね。プリフィアが好きなの。どうしてだと思う?」
「知るわけないだろ、そんなの」
あまりにあっさりと即答されて、ルフィアは大きなため息を吐いた。
「……ちょっとは考えてよね!なんでかな、あの花は凄く懐かしい気がするの」
「…懐かしい、か。お前がこの街に来る前に何か有ったのかな。…って、あ!すまん!!」
思わず口を吐いて出た失言に、セアは慌てて己の口を塞いだ。
「いいのよ、別に。どうせ、此処に来るまでの事なんて名前以外何も覚えて無いんだから。
気になんかしてないわ。……でも、案外セアの言うとおりなのかもね」
ふわり、と間近で微笑まられて、セアの呼吸が一瞬止まる。
「でも、今はもっと好きなもの…大切なものが在るから」
「……何だ、それ?」
高鳴る鼓動が彼女にまで聞こえてしまいそうだった。
それを知ってか知らずか、彼の動揺などお構い無しに彼女は続ける。
「さあ?」
「さあ。ってお前なぁ…」
「今はまだ、言えない。そのうちセアにも教えてあげるわ」
「…言いかけてそりゃないだろ」
憮然とした少年の顔を盗み見て悪戯っぽく笑った。
―――好きよ、大好きよ。この感情を教えてくれた貴方が、何よりも大切―――
むかぁし書いた話のリサイクル、其の1(笑)
流石に相当、手は入れましたけど。なっつかしいなぁ。
ええ、と。エストをプレイしたことが有る方は解っていただけるといいなぁ。
「2」の本編中と「1」の本編前の話です。
上手い事ミックス出来てるのかな…
解りやすいようにしたつもりですが、エストをプレイされていない方にはさっぱり繋がらない話なのでしょうね(痛)
ルフィア至上!そしてエリーヌ様、シーナ、アイリス皆好きです。
(同一人物だと言わないように(笑))
彼女が居てこその「エストポリス伝記」。
彼女を愛しいと想い続ける限りは亀更新でも書きますとも!
20050303UP
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