緋色の想い、色の導き



男はじっと、窓の外を見つめていた。
爽やかな新緑の季節だというのに、心の中は、落ち葉を吹き散らす冷たく強い風が吹いていた。
胸の内に在るものは、不安と恐れ、そして罪悪感。
幼い頃から抱いていたそれを、今日、初めて口にする。
痛い思いをする者が増えてしまうその事が、男の気持ちを余計に暗くさせていた。





 コンコン。

「はい」

ノックの音に、横たわっていたベッドから上体を起こし、ドアへと視線を転じる。

「父さん。ローマンさん、来てくれたよ」

ひょこりと顔を覗かせた見事な赤髪の少年がドアを大きく開けると、初老の男が軽く会釈をするのが見えた。

「すみませんローマンさん。ご足労をおかけします」

この間よりも更にやつれた顔で会釈を返した男を、ローマンは目を細めて見つめ、ゆっくりと部屋へと足を踏み入れる。

「セア、父さんはこれからローマンさんとお話がある。
お前は自分の部屋に戻っていなさい」
「………はい」

優しいが、有無を言わせない口調に、セアは素直に返事をすると部屋を後にした。
ぱたん、とドアが閉まった事を確認してから、ローマンは手近に有った椅子に腰掛ける。

「あの子も随分、お前さんの身体の事を心配しておる。具合はどうじゃ?」
「……その事で、お呼び立てしました」

真っ直ぐにローマンの顔を見つめると、男は正直に述べた。

「私が逝った後、あの子を…セアを宜しくお願い致します」
「…………っ!!」

 予測はしていた。

が、あまりにあっさりそれを吐露されて、ローマンは力なく肩を落とす。

「…………どうにもならんのか?」
「引き取ってくれ、などとは言いません。時々、様子を見てくだされば」
「……わしは…お前さんの親父どのに引き続き、お前さん自身までも看取らねばならんのか……?」


たった二十年。

友が逝った日の事は、昨日の事のように鮮明に焼きついている。
今のセアほどだっただろうか。
友から同じように託された、幼かったあの少年が、今、自分の死を宣言している。
 
友も、自分より若かった。
歳の順に訪れない死に、ローマンはやりきれなさを隠せずにはいられなかった。
声からも力を失ったローマンとは対照的な、穏やかにさえ聴こえる男の声。

「幼い頃、父を亡くした時、私も覚悟はしていました」
「……?」

ローマンは視線だけを友と同じ、赤茶の瞳に移す。

「祖父も、父が幼い頃に亡くなったそうです。それを聞いていましたから」

伸びた髪が、瞳に色濃い影を落としている。

「………私は思うのです。まだ、戦いは終わっていないのだと」
「…何の事じゃ?」
「マキシムから続く戦いです」
「虚空島戦役は九十年程前に終わっとる。それこそ、マキシム達が命懸けで終わらせてくれたものじゃ!
それが何故、終わっていないなどと…!」

思わず声を荒げたローマンに、男は微苦笑を唇に乗せた。

「私が勝手に思っているだけです。
マキシムから私まで、とても長命な一族とは言えません。これは、きっと何か有るのだと」
「…四狂神の呪い、だとでも?」
「そんな見方も出来ますね。ですが、ただ終わっていない。そう思うだけです。
だからこそ、私は剣を師事してきた。夢中で剣士である自分を磨いてきました。
しかし『その時』は私ではなかったようです」
「終わったのじゃ。『その時』も何も無い!!」

崇拝すべき神が人間を滅ぼす。

嘘の様な史実。
絶対的な神々と、強い力を持った僅かな人間達の、存亡をかけた戦いはあまりに熾烈だったと聞く。
ローマン自身、他大陸から流れてきた伝説だと、半信半疑だった。

戦いの中で戦死したとされる英雄マキシム。

その子孫が目の前に現れるまでは。
そして、その子孫であるこの青年は、虚空島戦役と呼ばれたあの凄惨な戦いの再来を願っているかの口ぶり。

「では、私のこの消えぬ不安は何だと言うのでしょう?」

 --望んでいるのだ--

色白の、細くなった手で、己の胸をぐっと押さえた。

「父は剣士ではありませんでした。私の様に世界を危惧する事もありませんでした。
平和な世の中に、マキシム達に感謝こそすれ------」

布団に落とした視線を、窓の外へと向ける。

「勿論です。私だって、穏やかに暮らせる方が良いに決まっています。
今までも、これからも、この穏やかな生活が続けば良いと-----」

外では息子と同世代の子供がはしゃいでいる。
マキシム達がもたらした平和の象徴が、どの子供の顔にも溢れている。

 --平和なこの世界に--

「私だったら良かったのに。息子でなく、私であれば…」
「セアがどうしたと言うのじゃ?」
「あの子は…あの子こそは、私よりも、父よりも、誰よりもマキシムの血を濃く受け継いだ。
思うのです。あの子はマキシムと同じ道を歩く、と。
幼い頃、父を亡くしたあの想いも、幼い子供を残して逝くこの想いも背負って欲しくなど無かった。
しかし、彼と同じ道を歩んで欲しいと願っていた訳でもなかった…!」

神々を屠り、平和な世界をもたらした英雄の子孫であるならば、率先して戦いに身を投じるのは当たり前なのかもしれない。
だが、どうして誰が愛する我が子に修羅道を歩んで欲しいなどと願うだろうか。

 --彼がこの地に立つ事を--

最近、瞼に浮かぶのは、幼い日、地下室で見た英雄の肖像画。

「……クレイス……」

ようやく判った。

これは我が子を想う故の叫びなのだと。

しかし、四狂神は滅んだ。
蘇る事は決して無い。

 そんな事が有ってはいけないのだ、断固として!

男の、クレイスの言葉は親として、そして英雄の子孫としての狭間で揺れ動く想いなのだとローマンは理解する。

「私は、父として、男として何もしてやれなかった。出来たのは唯ひとつ、独りで生きていく術だけ。
私は酷い親です。それだけを幼子に押し付けて居なくなる…」




あの頃は、純粋な憧れとほんの僅かな恐れを抱いて見上げた、あの絵。

「すみません、ローマンさん。私達は親子三代で貴方にご迷惑をおかけしました…」
「謝らなくとも良い」

友も、似た言葉と共に、自分に彼を託した。
避けられぬのなら、受け止めるしかない。
どんなに過酷なものでも、不条理なものでも、現実であるのなら。

「お前さんが元気になれば良いんじゃ。…な?」

なのに、心苦しい。

軽くて上っ面な己の声を、ローマンは苦々しく聞いていた。

「……そう、ですね」

免れぬその日は近い。

息子を案じながら、消えぬ不安を抱えて逝かなければならないのだろうか?

「それじゃ、そろそろわしは宿の準備をしなくてはならんのでな。これで失礼させてもらうよ」
「…ありがとう、ございました」

死への覚悟というものは、これほどまでに残酷なのか。
これ以上、此処に居ると涙が溢れてきそうだった。
 
悟った表情がとても哀しい。

立ち上がり、背を向けてから、独り言のようにローマンは語る。

「…のう、クレイス。お前さんは昔っから聞き分けの良い聡明な子じゃった。
わしに我侭も言わず、礼儀正しく素直な子じゃ。わしは親代わりとして、何もしてやれんかったが、お前さんの様な息子を持った
事を誇りに思っとる。
しかし、しかしじゃ。
だからこそ、苦しい時くらい、それを口にして欲しかった。苦しいという顔をして欲しかった。それくらいの甘えを言って欲しかった」
「……ローマンさん」

一度も『父』と呼ぶ事は無かったが、感謝していた。尊敬していた。
父と同じほど、それ以上に。
何時の間にか、自分より小さくなってしまった、震える背にそっと言葉を掛ける。

「私も貴方の息子であれて、良かった。親不孝ですみません。そして有難うございました」
「まだ…今生の別れじゃないじゃろう?」

掠れている声に、必死になって笑顔を取り繕う様相が、クレイスには手に取るように判った。

「そうですね…また、シナモンティーを頂きに行きますよ」

返す言葉には、何の動揺も含まれない。

「……楽しみに待っとるよ」

ローマンが出て行き、セアと彼の声、そして玄関のドアを開け閉めする音が微かに聞こえる。


静寂が戻った後、薄暗い天井を見上げ、瞼を閉じた。





浮かぶのは、凛々しくも微笑みを湛えた赤髪の英雄。

似ている事が嬉しく、同時に何処かで感じていた畏怖。
過去への憧れと嬉しさと恐れは、形を変え、大きさを変えながら、変わりなく胸の内に在り続けている。
姿も、内包するものすら、自分より遥かに似ている者へと。
深い、深い悲しみを伴って。

「セア。私の可愛い息子よ。どうか、お前に---------?」

こめかみに指を当て、刹那思考を千切った何かを手繰り寄せる。
それは、不安と共に、常に存在し続けていた、何か。
赤の不安に見え隠れしながら、時には取り込まれそうになりながら、微かに、確実に成長していく何か。

 何と例えたら良いのだろうか?

光であり、闇でもある。
空であり、海でもある。
白光の瞬く空間に溢れ、たゆたう想い。
小さく、だが、無限の広さを感じさせる蒼の世界。

 -----触れてみたかったもの。

必ず伴うであろう痛みを恐れ、見ているだけだったそれに、クレイスは呟く。

(託せるだろうか?託しても良いだろうか?………あなたに)

この不安と共に、ローマンにすら託せなかった想いも。
 
そして。

「セア。お前に、支えと癒し、そして導きの手を-------」



 百年の時を経、扉は再び開け放たれる。









ええと…此処まで主人公が出てこない話ってのはかなり珍しいと思います。
時間軸的には、「1」の本編前。
この暫く後、クレイスが亡くなり、直後ルフィアと出会う事になります。
一応、この時点でのセアの年齢は7歳ほど。
クレイスにサバイバルと剣術の一式を叩き込まれ、同年齢の子供たちとは少し違う、ちょっと浮世離れした…
精神的に少し冷めた感じになっているのではないかと思われます。
が、ルフィアと一緒に居る事で、フツーの恋する男の子(笑)になっていくわけで。
まあ、オープニングでいきなりかくれんぼする仲の良さを見ていたら、違うような気もしますが。
英雄の子孫として、何処か達観したのではないかと、勝手に推測している始末です。
クレイス、という名前は当時プレイしていたテイルズオブファンタジアの主人公クレスを
ちょこっともじった名です。…って安直すぎる…



20030615UP


ack