風が止まってもう、久しい。
それでも此処へ、この場所へ来ると、柔らかな風が身体を通り抜け、髪を揺らす。
そんな気さえする。
穏やかな…悪戯っぽさを少し含んだ笑みを浮かべて、レナはそっとその場所へ近づく。
そっと。 足音を立てないように。
息を殺して。
そっと忍び寄る。
何時もよりずっと近づけて、その嬉しさに思わず破顔しながら覗き込もうとした瞬間。
天碧色をした眼差しがそれを阻止した。
「レナ、か?」
「………バッツ…」
もう少しだったのに。
溜息と共に漏れそうになった台詞を飲み込んで。
「どうした、レナ?」
あからさまに残念そうな顔をしたレナに、バッツは眉を顰めて問う。
「ううん、ごめんなさい。何でもないわ」
「…何でもない、って感じじゃないだろ。どう見ても」
なんでオレを見てがっかりするんだ?
目覚めた途端、目の前で落胆されて良い気分になれるはずも無く、欠伸雑じりの口調は何処か尖っている。
レナは申し訳無さそうに首を竦めて、胸の前で手を合わせた。
「本当にごめんなさい。不快な気分にさせるつもりは無かったのよ」
こんな顔をされては。
まだ、喉まで出掛かっていた言葉があったのに。
まだ、言うつもりは無かったのに。
もう、いいよ、と、不問に伏せてしまうバッツと、あのね、と切り出すレナ。
それはほぼ同時。
「………って見た事無かったから」
「はい?」
聞き取れずに、いや耳を疑ってしまったと言うほうが正しいかもしれない。
その証拠に、声は一音高く、目は大きく見開いている。
「……バッツの寝顔って見た事無いから…」
繰り返すレナの顔は、赤い。
「………………そんな事か?」
「!そんな事って……それは確かにそうかもしれないけれど…」
ようやく搾り出した間抜けな問いに、答える声も萎んでいく。
暫しの沈黙。
「……ははっ」
破ったのは、先ほどまでの不快な顔も、驚愕の顔も何処へやら、屈託無く笑うバッツ。
こんなにも、心惹かれて止まない笑顔。
「じゃあ、レナはオレの寝顔を見ようとして近づいてきたのか?」
なんで、オレなんかの寝顔が見たいなんて思うかな?
そう言う顔は照れ臭そうでもあり、楽しそうでもありレナの鼓動を加速させる。
「だ、だって…だってバッツは何時もちょっとした物音や気配で起きてしまうでしょう?
ちゃんと眠れているのかしらって、ずっと気になっていたの」
「…まあ、ガキの頃からずっとそうだから慣れ、かな?
短い時間でもちゃんと体力を回復する術が身についているんだろうし…
宿とかじゃきっちり眠ってるしな。だからそんな大した事じゃないんだぜ」
「……そう、なの?」
バッツのあの感覚の鋭さは、群を抜いている。ファリスでさえも舌を巻くほどに。
眠っていても真っ先に異変に気づく、過敏すぎるほどの姿を幾度と無く見て来たレナからすれば、
それは当然の疑問。
堅固な城の中で、厳重な警備に護られ、柔らかなベッドに身を預けてきた彼女には、
彼のあっけらかんとした答えに対してうまく答える事が出来ない。
この旅の中で経験はしてきた事柄ではあるけれど、想像がつかない。
「ああ。それに、今は独りじゃない。レナたちが居るからゆっくり休めるし…
そんなに気を使う必要なんて無いさ」
「………………はい」
嘘を吐く事が下手な彼の本心からの言葉は、穏やかに、だが強い力を以ってレナの中の隅々にまで
染み渡る。
「ごめんなさい。せっかく休んでいたのに、邪魔をしてしまって」
それじゃ、と立ち上がったレナを振り返らせたのは、自分を呼ぶ声。
「はい?」
手を頭の後ろの回し、目を閉じながらバッツは事も無げに言う。
「此処に居ればいいじゃないか」
「え?」
「其処に居れば、見れるだろ?レナが見たかったものとは、だいぶ違うと思うけど」
「…あの……」
それは、此処に居てもいい、と言う事なのだろうか?
はやる胸を押さえて、彼の顔を見下ろすが、目を閉じた彼の表情はよく読み取れない。
「レナが其処に居てくれると安心できるし、…それに………」
「…それに?」
少しずつ、口調と答える反応が遅くなっていく。
もうすでに夢うつつのようなバッツの言葉は、それでもはっきりとレナの耳に届いた。
「……すごく心地良いから…」
何気ない、言葉。
何気ない、だけど真実。
息を呑み硬直したレナが、赤い顔を隠すように口元を覆い、顔を背けた事など、バッツは知る由もない。
どれほどの時間が経っていたのか。
ようやく我に帰ったレナが再び視線を戻すと、其処には規則正しい寝息だけが満ちていた。
「…………………………」
とても、とても穏やかな気持ちで微笑んだレナはゆっくりと腰をおろす。
風を起こさないように、目覚めさせないように。
息を殺して間近で見るのは、ずぅっと見てみたかった顔。
歳に似合わない、あどけなさの残る顔。
僅かな気配を察知する、あの鋭い感覚は作動せず、無防備な姿を晒している。
起きないのは、自分が此処に居る事が分かっているからだろうか?
それとも、信用していてくれているからだろうか?
レナには分からなかった。
しかし、それでいいと思う。
傍に居るだけで、こんな気持ちになれる事がただ、嬉しかった。
眩しそうに瞳を細めて、そぉっと指を伸ばす。
茶色に緑が混じった不思議な髪。
その前髪にそっと触れると、さらさらと撫でた。
つんつんと立った癖の有る髪型のわりには、思ったよりも柔らかい髪を。
暫くはただじっと、バッツを見つめていたレナは不意に視線を変えた。
痛くないほどの陽が降り注ぐ、彼の瞳と同じ澄んだ天碧の空を。
先程からずっと、たくさんの言葉が込み上げて来ては、喉を突く。
そのどれもが言葉と成って、唇から漏れる事は無かった。
どう言っても、足りない気がしたから。
それでもようやく、ただ一言をレナは口にした。
「……ありがとう」
深く考える事など何も無い、単純明快で、全ての想いが詰まった言葉。
微かな音と成って、空に放たれた言葉は、風に混ざりすぐに消えた。
FFシリーズ共通ネタ5バージョン。
とは言ってもしっかりサモでもやってますが(苦笑)
これも、FF5の10周年webイベントに投稿した物でした。
バツレナです。えらい恥ずかしいです…
恥を忍んで、バツレナ好きさんへ捧げます。
(って、いらっしゃるのだろうか…)
レナ姫が可愛く書けている様に見えたのなら、最高です!
20040924UP
Back