「ぅあ〜〜〜っ」
けだるいあくびと共に、釣り竿が手から離れ、草の上に転がった。
「くそっ。全然釣れないじゃないか」
そうは言っても、バケツの中には、20センチほどの魚が3〜4匹泳いでる。 一人二人では十分な数だが、フラットの大所帯ではとても足りない。
「…やっぱ、場所を変えたのが失敗だったか…」
たまには気分も変わっていいか、と初めての場所に来たのはいいが、成果は全く上がらない。 この場所での最初の勝負は負けに近かった。
「あぁもう!」
半ばやけになって、芝生の上に思いっきり倒れこむ。 大きく息を吸いこんで吐いて。 それから、目を開けると青い空が眩しい。 むき出しの耳や頬を青草がなでる。 場所は変わっても、このアルク川でののんびりとした空気は変わらない。 ほんの少し寝転んだだけで。 釣れない悔しさはどこかに消えてしまった。
「それにしても、気持ちいいな。クラレットも連れて来れば良かったかもな」
自分を元の世界に帰してくれるために、日々なにかの本を読んでいるらしいクラレット。 とてもありがたいことでは有るけれど、そんなに根を詰めなくてもいいとハヤトは思う。 特に、こんな好い天気には。 もったいない、と思ってしまう。
「俺、本当に焦ってないのに」
何度そう告げても、彼女には届かない。 それが少し寂しい。 バノッサとのいざこざは続いているものの、ここでの日常にも慣れてきたし、なによりも楽しい。 フラットのみんなは優しいし、クラレットもまだなにか隠してる気はするけれど、彼女と居るのは心地が良い。 帰りたくないわけではないけれど、本当に焦ってはいない。 それは、帰して差し上げます、と言った、あのクラレットの真摯な表情を信じているから。
ごろり、と転がり芝生の上に腹ばいになって肘を突くと、緑の香が鼻腔をくすぐる。 草花より少し高いだけの視線で見渡すと、元の世界で見た事がある草花もいくつか有った。 これもそう。 ふ、と手を伸ばして細い茎をそっと摘み取る。
「…不思議だな」
事故だ、と彼女は言った。 だが、事故でなんであれ、この世界と、自分の居た世界は繋がっている。 そう、思う。
こうして見たことが有る花がある。 食べものでも、名前は違っても見たことが有るものがあるし、味も似てる。 そのままの名前のものだってある。 だから、無関係だとは思っていない。
事故だという名の繋がりがあるのなら。 此処に呼ばれたことにも、きっと意味が在る。 まだ、それは見つからないけれど。
細い茎を指先で軽くこすり、くるくると回して遊んでいたが、やがて勢いよく起き上がった。
「よしっ!今日はもう帰るか。リプレには勘弁してもらわないと」
何時ものように、十分だよ、と言ってくれるのは解っているけれど。
「ただいま。…って、あれ?」
魚の入ったバケツを持って、まずは台所に行ったハヤトは思わず立ち止まる。
(リプレと…クラレット?)
家事一切を取り仕切るリプレが此処に居るのは当たり前だけど、その傍らにクラレットが居るのは、すごく意外な気がした。 クラレットが台所に居るという事もそうだけど、有るようで無いツーショットを暫く呆然と見ていたハヤトに、リプレが気づく。 次いでクラレットも穏やかに微笑みながら振り返った。
「あら、お帰りなさい、ハヤト。…どうしたの?」 「お帰りなさい、ハヤト」 「あ…いや。なんでもないよ。それより、なにしてるんだ。二人が一緒に居るなんて珍しいよな」 「ああ、あのね…」 「リプレさんにハサミをお借りしてたので、返しにきたのです」 「ハサミ?」 「はい…しおりをどこかに無くしてしまって…」 「しおり?本に挟むあれか?」
突如、心の中に、ぽん、と考えが浮かんだ。
「はい。とりあえず、使わない紙を切って代用しようと思ったので…」 「なるほど」
自分の声をどこか遠くに聴きながら、浮かんだ考えをまとめる。
「しっかり者のクラレットが、無くしものをするなんて、珍しいわね、って言ってたのよ」 「そんな…私はしっかり者なんかでは、ありません」 「謙遜しすぎよ、貴女は」
返って来たハサミをぱちぱちと鳴らしながら、リプレは手近の引き出しにしまいに行く。 そのリプレの背を見送って、ふと視線を戻したクラレットは、首を傾げる。 なんだか、とても真面目な顔をしたハヤトを見て。
「どうか…されましたか?ハヤト」 「う、うん?いや、なんでもないよ」 「?」
どう見ても、なんでもない、と言うにはほど遠い。 さらに言い募ろうとしたクラレットよりも早く、ハヤトはバケツをテーブルに置き、
「リプレ。今日はこれだけしか釣れなかったんだ。悪い」
その言葉で振り返った彼女が見たのは、慌しく飛び出していったハヤトを驚いた顔で見送ったクラレットだけだった。
「…ハヤト?入りますよ」
翌日。 朝食を済ませたクラレットは、ハヤトの部屋のドアを叩いていた。 だが、応答は無い。 ドアノブを回し、そっとすき間から中を窺う。
「ハヤト?」
中はすでに人の気配は無く、もぬけの殻。 この分では、朝食を済ませてすぐに、出て行ったのだろう。
「…なにをしているのでしょうか…?」
机に立てかけられたままの大剣にそっと触れる。 いつも肌身離さず腰に佩いている剣すら忘れて行くなんて。
昨日のリプレとの会話に割り込んできた時から、おかしかった。 あの後だって、結局帰って来たのは、日が落ちてからだったし、問い詰めても曖昧にごまかすばかり。
「………」
嘘やごまかしは苦手だと、嫌いだとそう思っていたのに。 事実、何も言ってもらえず、自分は独り此処にいる。
ずきり。
刺すような痛みを訴えた胸を押さえ、クラレットは自嘲的に笑んだ。
「何を都合の良いことを思っているのでしょうか、私は。何も告げていないのは私の方なのに…」
その時、あの優しい薄茶の瞳は。 侮蔑と屈辱の色を顕にするのだろうか。
「………ト…」
冷たくて重い剣を。 きつく抱きしめた。
結局、その日も彼が帰って来たのは、すっかり日が落ちてからだった。
「お兄ちゃん、お帰り」 「ああ、ただいま」
玄関から聞こえるフィズやラミの声と共に混じる、明るいハヤトの声。 調べ物も何も手につかず、ただぼんやりと机にうつ伏せになっていたクラレットは、はっ、と顔を上げた。 子供たちの他にリプレやエドスたちの声も混じって聴こえる。 だが、とてもあの明るい雰囲気に入っていく気になれなかった。
ぎゅっ、と瞳を閉じて、心を落ち着ける。 顔を合わせた時に、何時もどおり接することが出来るように。
「それにしても、お兄ちゃん」 「ん?」 「何をしてきたのよ。すごい汚れてるじゃない」 「おかお…まっくろ…」 「そ、そうか?」 「真っ黒というよりは、草の汁がついたって感じね」
言われてハヤトはごしごしと頬をこすり、汚れた服を見下ろしてバツが悪そうに首を竦めた。
「ゴメン…リプレ」 「まったく…子供じゃないんだから、そんなに汚さないで欲しいわ」 「…う…ゴメン…」 「で?」 「え…?」 「探し物は見つかったの?」 「……リプレ?」
なんで、それを。
驚きで目を瞬かせたハヤトに、リプレは悪戯っぽく笑う。
「家族のことはお見通しよ?」
言って、楽しそうに、そしてどこか寂しそうに笑んだ彼女にハヤトは気づかない。
「じゃあ、早く喜ばせてあげるのね」 「ああ!もうちょっと時間がかかるけどさ」
満面の笑みを浮かべて、大きく頷いた。
「今日は黙って出て行ったんでしょう?おかんむりよ、きっと」 「ぅあ…っ」
一瞬、顔を引きつらせる。 だが、その表情が本心で無いことは、よく知っている。 ばたばた、と駆け出した背を見送って、リプレは小さなため息を吐いた。
「リプレママ?」 「…さ。この間に準備を済ませちゃおうかしら。フィズ、ラミ手伝ってね」 「はーい」 「…うん」
「ただいま、クラレット」 「ハヤト!」
何時もどおりに話しかけられて、何時もどおりの声が出た。
「何をしているんですか、貴方は!こんな時間まで!!しかも、こんなに汚れて!」 「ゴメン、ゴメン。俺が悪かった」
最初から争う気は無い。 両手を軽く挙げて、降参のポーズをするハヤトに、それでもクラレットはつかつかと詰め寄った。
「貴方は私が責任を持って元の世界に帰すと誓ったのです。勝手な事をされて、もし何かあれば…私は……」 「…クラレット?」
違う。
こんな事を言いたいのではない。 ふるふると小さく首を振り、そのまま俯いてしまったクラレットに、ハヤトは一歩近づく。
「……ですから…」 「え…?」 「…お願い、ですから」
クラレットは一歩前に出る。 20センチも離れていない場所に立つハヤトからは、強く草の香がした。 そのまま頭をもたれさせる。
「心配、させないでください…」 「…うん、ゴメン」
背中に回された手の温かさに、クラレットはそっと瞳を閉じた。
一週間後。
「では、今日はこれまでにしましょうか」 「ぅあー。やっと終ったー」
ペンを放り出し、ぐぅっ、と背伸びをする。
全然知らない世界の言葉や世界の成り立ちを聞くのは、それなりに面白いが、やっぱり疲れる。 椅子に座って本と睨めっこよりも、召喚術の実践や剣の練習をする方が、自分には向いていると、ハヤトはしみじみと思う。
「明日は戦術について、少しお話をしましょう」
言いながら、クラレットは、本にしおりを挟む。 それは前に、リプレからはさみを借りて切っただけの簡単なもの。
「ああ、そうだ。クラレット、ちょっと待って」 「はい?」
机の隅に積み重ねられた数冊の厚い本を引き寄せて、上の二冊をどける。 すると本と本の間からは、きちん、と折りたたまれた紙が出てくる。 なんだろうと、見守るハヤトの手は、その紙を綺麗に広げて行き。
「ほら」
出てきたものを、クラレットに差し出した。
「…これは?」 「しおりだよ。あんまり上手くないけどさ」
薄い緑の紙で出来たしおり。 右上部には小さな穴が開けられ、綺麗なリボンが通されている。 なにより、クラレットの目を引いたのは。
「…これは、なんですか?」
中央に貼り付けられた四枚葉の小さな草。
「押し花だよ。クローバーの」 「クローバー?」 「あ。こっちでは名前が違うのかな?俺の世界ではクローバーって言う名前の草なんだよ」 「そう、なのですか」 「こないだアルク川で見つけてさ。もしかして、と思って探したらやっぱり四枚葉もあるんだな」 「珍しいものなんですか?」 「クローバー自体は珍しくないんだけど。四枚葉は珍しいみたいでさ。 俺の世界でも珍しいから、見つけると幸せになるとか言われてるんだよ」 「しあわせ…」 「もっと他の意味もあったような気もするんだけど…それが有名だったからなぁ」 「………あの、ハヤト。どうして私にこれを?」
当然の疑問をぶつけると、ハヤトは当たり前のように答えた。
「君に貰って欲しいと思ったからだよ」 「え…」 「ほら、前にキミがリプレとしおりの話をしてたじゃないか?」 「はい…」 「その時にクローバーを見つけてさ。それを使ってしおりを作って君にあげれたら良いな、って」 「……」 「小さい頃、自由研究でこういうのやってて良かったよ。上手くないけど、やり方は覚えてたし」
要するに。 あの時も、これがしたいが為に一人で飛び出し、朝から晩までこの草を探していたというわけなのだろうか? あんなに汚れてまで。 しかも自分は、酷く怒ったのに、なんの弁解もせずに。 私なんかのために??
「…すみ、ません…」 「なんで、謝るんだよ?クラレットは何もしてないだろ?」
俺が勝手にしたんだから。
ハヤトは立ち上がり、クラレットに向き直る。
「何時も俺、君に迷惑かけてばっかりだから。こんなんじゃ、お礼にもならないけど…」 「そんなこと、ありません!」
ほんの少し肩を竦めて。
「君は俺を元の世界に戻してくれる、って約束してくれた。だから、俺も…俺も出来る限り、君の傍にいて君を守るよ…」
できることなら。 俺が此処に居る意味は、君の傍に在るように。 君の傍はこんなにも心地良いから。
「…ハヤト?」
大きく息を吐き、笑ったその顔は、クラレットの心を僅かに軋ませる。
何時も寂しそうに笑う、君を。 どうにかしたかったんだ、俺が。 俺が、君を。
「これは、その約束代わり、にはならないかもしれないけど。貰ってくれないかな?」
しおりを持つ手が、そっと繊手に包まれる。 柔らかく、温かく満たされる想いを感じる。
「ありがとう、ございます」 「うん…ありがとう」
「今日は、ずいぶんと気合が入ってるようだな」
じぃん、と手が痺れるような重い一撃を受け止めて返すレイドに、ハヤトは大きく頷く。 力強く笑いながら。
「ああ」
「今日もハヤトたちは頑張ってるわね」
台所で剣戟音を聞きながら、背後のテーブルに座り、読書を続けるクラレットに声を掛けると、本をめくる手を止めて小さく頷く。 優しく微笑み、指先はしおりにそっと触れながら。
「ええ、そうですね」
心離れるまで。
心離れても。
…しあわせに。
なんでしょう、この微妙にぼのでラブでシリアスで…?? 最初はほんとーにただのほのぼのだったのに、うむむ… クラレットさんが置いて行かれたのを自覚したところを書いた所で、少し風向きが変わったようです。 ぼのになりきれず。 シリアスやラブにもなりきれない、微妙な話ですが、まぁ、たまにはこんなのもいいか。 「ぼの」さんの名前は伊達じゃない。 というか、今回は発揮されませんでした(笑)
「Clover」はタイトルが先にあって、という私には珍しいパターン。 某アニメのEDタイトル見て、ああ、と思ったんですが。 もっと具体的な漫画もありましたね。あれ使うならやはりクラレットさんサイドじゃないと無理だけど。 四枚葉のクローバーは幸福になれる、という小噺を使いたかったのですが…玉砕気味? 「幸福」という意味と「約束」という意味は知っていたので、それをちょっとちりばめてみました。 あとは「私を想って下さい」とかいう意味もあるんだそうですね。
ナツクラの話、「花言葉」で似たネタは使ってしまったのですが。 ハヤトとナツミさんの違いで、こうも内容が変わるものなんですね。 面白いなぁ。
とにもかくにも。 たまにはこんなほのぼのラブ如何ですか?(笑)
20050906UP
Ss Top
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