そっと。君に、寄り添って。





「うっん…」

ぐぅっ、と思いっきり背伸びをして、大きく息を吐く。
気だるそうに首を回し、肩を回して、がっくりと項垂れた。

「つっかれたなぁ…」

やや疲労の混じった顔には、その疲れに相応しく無いほどの穏やかな笑み。

「……でも、これで、やっと…」

 やっと。

重たくて、重たくて押し潰されそうになっていた、あの重荷が消えた。
完全ではない。
しこりも残っている。

けれど、それでも。

 やっと、この重さから。



顔を上げて、自分を照らし出す満月を見上げた。

 色んなところで、色んな月の顔を見る事になるんだろうな。

そう思ったのは、確か旅の始め。
それから数え切れないほど多くの月の下で、たくさんの人と出会い、話をして、
そして今日、この旅は一応の終わりを告げた。

リィンバウムに混乱を撒き散らした悪魔、メルギトスを封印した事で。

「あの頃は、こんな旅になるなんて、思いもしなかったわよね」

兄弟子に叱られながら、緩やかで穏やかな、何も無い旅路が有るのだと思っていた。
何処から、自分の運命は変わったんだろうか、と自らに問う。
彼女に出逢った日だろうか、フォルテ達から聖女の話を聴いた時だろうか、この旅に出た瞬間だろうか。

 ううん。

トリスは緩く頭を振る。

 きっと、もっと前。

そんな気がする。



「……綺麗な月だな」

聖王都西の果てサイジェント。
此処で見る月は、何故か少しだけ白銀を帯びているようにも見える。

 ゼラムより大きく見えるのは、空気が綺麗な所為なのかな。

そんな事を思いながら、月へと手を伸ばしたトリスの背に、やんわりとした肯定の声が当たった。

「本当に、そうですね」
「アメル!?」

びっくりして振り仰ぐと、栗色の髪を揺らしてアメルが微笑んだ。

「はい」

天窓から上半身だけ覗かせていたアメルは、よいしょ、と掛け声をかけ、屋根の上に上がって来ると、
声を無くし、ただ淡紫の瞳を瞬かせているトリスの前にゆっくりと歩み寄る。

「気が付いたら、主役の一人が居ないんですから」
「あ、はは。…だって、もう主役も何もないじゃない?」

メルギトスを封印した祝宴は、既に主役の手を離れている。
此処に居ても、誰かの笑い声が常に聞こえてくるくらいに。

「…確かに、そうですよね」

頷き、此処、いいですか?と尋ねる。
勿論よ、と笑ったトリスの顔を穏やかに見つめながら、傍に腰掛けた。

「それより、あたしが此処に居る、ってよく分かったわね」
「貴女とのお付き合いも長いですから…」
「そっか…」

実際には、出逢ってから今日までほんの数ヶ月。
だけど、その内容は何年、何十年分に匹敵するほど、濃く、深く、そして力強いものだった事を二人は感じていた。
強さも弱さも甘えも、何もかもを曝け出し、数え切れないものを共有しあえるまでになれたのだから。

「あたしの行動ってお見通しなんだ?」
「ええ。絶対に此処でお月さまを見てる、って分かってました。でも…」
「でも?」
「今日はあたしをお話に誘ってくれないんですね?」
「そっ、そんな事ないってば?」

月明りだけが頼りの、足場の悪い屋根の上。

そんな事は全く意に介さず、ぱっ、と立ち上がったトリスは、アメルの前に回り込むと訴え始める。

「アメルも疲れているだろうから、無理に誘っちゃ悪いかなって。
それにさっきはリプレと話をしてたし…それに……!」

必死になって弁明する彼女を、アメルはただじっと見つめた。
その榛色の瞳に総てを見透かされている気がして、トリスはうろたえる。

「……それに…」
「……『それに、悩んでいるところを見られたくなかった』、ですか?」
「………………え…?」

掠れ、上擦った声が微かに漏れた。

 …ああ、やっぱり。

優しさが掻き消え、哀しい色をした真摯な瞳が真っ直ぐに見ている。
その中に強張った顔をした自分が映っていて、思わず顔を背けたくなる。

「……其処まで分かっちゃってたんだ…?」
「そう、ですね」
「そっか…」
「どうしてです?トリスさん。あたし達はちゃんと言いました。
貴女が気に止む事なんかじゃないって」

 そう、ちゃんと本人に告げた。

自分も、彼女の兄弟子ネスティも。

「うん。ちゃんと聞いたよ。でも、でもさ…」

白銀の月明りでは、俯いた彼女の表情を照らしてはくれない。

 こんなに間近でも。

だけど、どんな顔をしているかは容易く想像がつく。

「…でも、あたしには記憶が無いから」

唇を噛み締めていたトリスは、苦しい心内を吐露した。





融機人であるネスティは一族総ての記憶を抱えているという。
そして、彼女は前世である天使アルミネとしての記憶を総てでは無いにしろ、取り戻した。
どれほどの苦しみと哀しみなのかと思う。
だけども、自分にはそれが無い。

 犯してしまった罪の記憶。

それが無い分だけ、自分は楽をしているんじゃないかと。

だから、せめて前に立ちたかった。
向けられる無数の刃から、降り注ぐ召喚術の雨からだけでも守りたかった。

「…貴女が無茶をしているのは、あたしもネスティさんも分かっていました。
ただ、言わなかっただけ。でも」

右手を伸ばして、指先でそっと柔らかな頬に触れる。

「それ以上、言ってはダメです」
「ダメ、かな?」
「はい」





 目を閉じて浮かぶのは、遺跡で見たホログラフ。

誰より人間を慈しんだ彼女は、慈愛の天使、豊穣の天使と呼ばれ、リィンバウムの人間には勿論、
他の三世界からも一目置かれる存在だった。

その彼女を騙し、裏切った調律者の一族。

腕や足といわず、肩も背中も腹部にまで、無造作に取り付けられた機械とチューブ。
返り血で汚れた、ぼろぼろの三対の翼。
皮膚を裂き、血を吹き出しながら、限界以上の力を紡ぎ出す。
断末魔さえ上げられず、光の中へ消えていく無数の悪魔。
感情も無い、虚ろな榛の瞳から、すぅっ、と流れた一筋の涙。

あんなにしてしまったのは自分達。
転生が出来ぬ魂にしてしまったのは自分達。

 この手は罪でべったりと染まっている。

それを赦してくれると言う。
本当にそれに甘えてしまってもいいのだろうか。
どんなに心が軽くなっても、赦せないものは、赦せないのに。

「ダメですよ!トリスさん!!」

左手を伸ばし、そっと顔を挟むと軽く引いた。
トリスは膝を付き、額と額を合わせて目を閉じる。

「あたし達は、貴女を苦しませる為に赦したんじゃありません!」

 どうして、分かってくれないんですか!?

悲痛な叫びに、じわり、と涙が浮かんだのは、どちらの瞳だっただろう。

「…確かに、思い出したくなかったって思った事は有ります。痛いな、苦しいなって思った事も有りますよ。
でもね、それ以上の愛おしさも幸せも、与えてくれたのは確かに貴女だったのに。
あたし達は貴女に逢えて本当に幸せなのに、貴女だけがそれを否定してる」

優しい声、綺麗な声、大好きな声が。

肌にじんわりと沁みて、心の中にまで届くと、残っていたしこりまでをも溶かして行く。



「…………ゴメンね、ありがと…」
「……今度そんな事を言ったら、絶交ですよ?」

溢れそうになる涙を堪え、おどけて笑うと、同じく泣きそうだったトリスが一転、
ええっ?と声を上げて、たちまち困惑顔になる。

「じょ、冗談だよね?」
「………さあ?どうしましょう」

冷たさを通り越し、感情が感じられないひと言を真顔で言われ、すぅっ、と血の気が引いていく。

「アメルぅ…?」

恐怖が一気に膨らんで、喉から訳の分からない何かが迸りそうになる。
悪寒が身体中を駆け巡る。
再び押し寄せる不安が、涙となって溢れる。

アメルはその涙を指先で拭ってから、ぎゅっ、と抱き締め、トリスの耳元に唇を寄せると、甘やかに囁いた。

「…そんな事しませんよ。出来るわけ、無いじゃないですか…
でも、あたしはそれくらい怒ってるんです。それだけは…分かって下さい」
「……………………………う、うん…」

背へと回した手に、温かさが伝わってくる。
抱き締められた身体が熱い。

 …気持ちいいな。

微睡みにも似た心地良さに意識を手放しかけて、ふと思い出す。

「………ネスがさ」
「え?」

今までの恐れも不安も何も感じさせない、ゆったりとした口調に驚くアメルから手を離し、立ち上がる。

「言うのよ」

そのまま彼女の後ろへ回り込むと、背合わせの形で座り込んだ。

「あたし達は向かい合って笑ってるイメージが有るんだって。
こんな風に背合わせでいたら、意外だ、って言われた事が有るわ。
ネスから見たら、あたし達ってそう見えてるのね。でも、あたしは…」

少しだけアメルの背に寄り掛かる。

「見詰め合って、アメルの笑う顔を見るのも好きだけど。こんな風に背合わせで居る方がもっと好きだな。
顔は見えないから、笑ってくれてるのか、怒っているのか分かんないけど、
此処に居てくれてる、って感じがするから。
温かさがそう教えてくれるから。目の前に居ても触れられないんじゃ、夢か幻か不安になるから」
「………………」
「あたしは此処に居る。アメルも此処に居てくれてる。あたしには、それが総て」
「…はい」

アメルも少しだけ身体を倒した。
肩が触れ、髪が触れる。
触れ合った指を絡め、同じほどに寄り添う。

「そうですね。あたしもそう、思います」
「ね、アメル…」

目を閉じ、自分達を包む優しさに身も心も委ねながら、トリスは囁く。

「あの歌を歌って。何時か聴かせてくれた、あの歌。…好きなんだ、あたし」

歌詞も曲も、歌う姿も、そして何より奏でる声が。

「いいですよ」





「…ありゃ」

屋根に出ようと、天窓から顔を出したナツミが首を傾げて段差を飛び降りた。
彼女に続こうと、すぐ後ろに居たクラレットは、肩を竦めて笑ったナツミに問う。

「どうしたのですか、ナツミ?」
「ん〜。居ないと思ってたら、先を越されちゃったみたい」
「……トリスさんとアメルさん、ですか」
「うん」

こっくりと頷き、天窓から見える夜空を見上げて。

「なぁんかいい雰囲気だったから、ジャマは出来ないっしょ?」
「はあ…」

そんなものですか、と首を捻ったクラレットに、そりゃそうでしょ、ときっぱりと肯定して。

「あの二人も仲がいいよね。性格とか、雰囲気とかあたし達に似てる気がするし」
「そう…ですね。トリスさんも貴女と同じで、無鉄砲な印象を受けましたし、アメルさんもさぞ苦労なさっている事でしょう」
「あっ、それは聞き捨てならないなぁ」
「反論が出来るのですか?」
「う…っ」

あまりの正論に言葉を失ったナツミは、え〜っと、と逃げの台詞を探し出す。
そしてそれは無意識だけど、必ず彼女に勝てる言葉。

「…で、どうしよっか?あたし達のデートスポット、今日はダメみたいだし」

にっぱりと笑って、目の前の紫の瞳を覗き込む。

「で…っ?…………ナツミ!!」

クラレットが『デート』というものが何なのか知ったのは、つい最近の事。
普通に話す分には何も無いのに、こう言うと顔を真っ赤にして口籠る。
それがなんとも可愛くて、ついついからかいたくなるナツミの心情を、当然の事ながらクラレットは知らない。

「あははははっ。もうクラレットったら可愛すぎ!」
「……………………ナツミ…」

 形勢逆転。

そんな言葉がクラレットの頭の中に浮かんだ。
ほんの一瞬前まで主導権を握っていたのは自分の方だったのに。
どうしてこうも簡単にひっくり返されてしまうのだろう、と思わずにはいられない。
目の前の赤茶色の瞳に映る自分は、逃げ出したいほど頬を紅く染めて、打ち負かされた悔しさを浮かべていた。

だけど、笑っている。

困った顔で微笑んでいる自分が居る。
その自分はこう言っていた。

「私は決して貴女に勝てないのですね」
「なぁに言ってるかな」

クラレットの鼻の頭に人差し指を置いて、彼女は楽しそうに答える。

「あたしも貴女に勝ったって思った事は無いよ。むしろ、負けっぱなしって感じかな」

何故か胸を張り、自慢げに言い切った言葉に、勝てない理由が今更ながら分かった気がした。

「……やっぱり勝てそうにはありません。貴女には」
「ん?何か言った?」
「いいえ。何も」
「…そう?」
「はい」

何か聞こえたんだけどな、と不服そうに暫くクラレットを見ていたナツミだったが、すぐに、ま、いっか、と話題を変えた。

「あたしとしては、クラレットと一緒なら何処だっていいんだけど?」

 どうする?

言外に問われたが、クラレットの言葉も決まっている。

「私に聴なくとも、良いのでは?」
「……聴きたいんだってば」

答えなんか聴かなくても何となく、こう言ってくれるだろう、と分かっている。
だけど、聴きたい。

 その声で聴きたいんだよ。

ナツミの願いにクラレットは応える。
一字一句違わずに。

「貴女と一緒ならば、何処だって構いませんよ。ナツミ」
「…うん!」

晴れやかな笑顔に、自分が彼女の望む事に応えられた事を知り、クラレットもまた微笑んだ。



じゃ、此処でいいよね、と無造作に木箱に凭れて座る。
クラレットも持って来た物を床に置き、それからナツミの傍に腰掛けた。

「じゃ、あらためて」

 今は夜。
そして昼でも薄暗い屋根裏部屋には、大した灯りも無く。
だけど、天窓から差し込む白銀の月明りだけが、ささやかなお茶会を催すには充分過ぎるほどの光量を与えてくれていた。

まるで二人が此処に来る事を待っていたかのように。

広間から持って来た、ちょっとしたおつまみと、冷えかけたお茶。
カップをかちん、と合わせて、乾杯、と囁き合う。

「お疲れ、クラレット」
「ナツミこそ、お疲れ様でした」
「う〜ん。今日は久々におっきな召喚術を使っちゃったし。失敗しないか、ちょっとどきどきものだったんだけど、
クラレットが居るんだから、そんな筈無いよね」
「…ナツミは以前からあまり召喚術を使用しませんでしたものね」
「う、ん。まぁね」

自分の力が何なのか、それが分かった今でも、怖いと思う。
この手には有り余る強さと大きさに。

「あたしには、剣の方が似合うし?」

一瞬カップを持った手に落した視線をすぐに上げ、振り切るように笑う。

「…ですから、『熊をも倒すショートソードの持ち主』とか『力勝りの誓約者』なんて言われるんですよ」
「…って、ちょっとちょっと!誰がそんな事言ったの!?」
「ガゼルさん、ですが…」
「あいつうぅぅ。明日になったら、とっちめてやるっ!」
「………ちゃんと手加減してあげてくださいね」

力一杯握った拳をぐっ、と突き出して意気込んだナツミを見、そっとクラレットは息を吐いた。

 良かったです。

うん、と頷いた時、一瞬落ちた影を彼女は見逃さなかった。
何時も元気で明るい分、影を見つけた瞬間は息が止まりそうになる。
どうしていいのか、分からなくなってしまう。



「………クラレット?」

真摯な声が耳朶を打つ。
はっ、と我に返ったクラレットは、明るさの無い声に、血の気が引く思いで彼女を見返した。
有ったのは、声と同じく痛いほどの真顔。

「…ナ…ツ、ミ…?」
「ゴメンね」
「え?」

突然の謝罪をされて、目を瞬かせたクラレットに、困惑気味にナツミは聞く。

「思い出してたんじゃないの?アイツの言葉を…!」

口にするのも腹立だしい、といったナツミの表情に、その台詞が何を示唆しているのか気付いたクラレットは、
ゆっくりと瞳を伏せた。

 いや…っ。
 もう赦してくださいっ…私、私は…っ。

思い出したのは、未だに消えない零れた罪の意識。
思い知ったのは、未だに呪縛され続ける片翼の心。

「…痛かったんだよ。悔しくって苦しくって、泣きそうだった…アイツの言葉が赦せなかったよ。
でも、本当に腹が立ったのは、あたし自身」

ナツミの言葉の最後にクラレットは小さく反応する。

「どうして気付けなかったのかな、って。あたし、クラレットがまだこんなにも苦しんでるなんて知らなかった。
誰よりも長く居て、誰よりも傍に居るのに、何も知らなかったんだ、あたしは…っ」

何かが心を貫いた。
あの時、とっさに言い返せなかったのは、一瞬理解出来なかった所為。
信じられなかった所為。
痛みに耐えていた所為。

歯噛みの音に、クラレットは顔を上げ、ナツミを見た。
まだ涙は零れていないが、赤茶色の瞳は悔しさに潤んでいる。

「…っ!ナツ…っ?」

 貴女の所為では有りません。

そう言おうとして、上がったのは小さな悲鳴。
肩を強く抱かれ、引き寄せられたのだと気付いて顔を上げるが、この角度ではナツミの表情が分からない。

「パートナーとか言ってたのにさ。あたしは全然クラレットの事、分かってなかったんだよね。
でも、クラレット覚えてて。
悪魔が貴女を惑わしても、この世界のみんなが、例え神様や世界の意思が貴女を拒んでも、あたしは味方。
みんなが赦さない、と言ってもあたしは赦す。みんなが見放しても、あたしは一緒に居る。
貴女を守る為なら、誰だって、何だって敵に回してみせる。容赦なく剣を、この力を振るうよ…」
「…ナツミ……」

肩に置かれた指が食い込む。
そんなものよりも、届く言葉の方が何倍も痛い。

激昂とは違う。
彼女には程遠い筈の、冷たい、怒り。
肌を切り裂き、精神までをも凍てつかせる氷の刃。
その絶大な力に、クラレットは打ち震える。

「貴女を哀しませる事、総てを赦さない。今回はアイツを封印しただけだけど…
もし、出て来たなら今度は容赦しない。トリスの手を借りる必要なんて無い。今度こそ、完全に滅し……」
「ナツミっ!」

引き寄せられた無理な姿勢から、ナツミを抱き締める。

「もう…っ、もういいです…っ。もういいですから、そんな事を言わないで下さい…!」

 聴きたくない。
 この声で、こんな言葉など。

「あ……っ?」

大きくは無いが、痛みを伴う叫びに、怒りで強張っていた身体から一気に力が抜け落ちた。

ぱっ、と手を離す。
クラレットも回した手を離し、光の戻った瞳を穏やかに見つめる。

「ご、ゴメ……っ」
「ありがとうございます、ナツミ」

慌てたナツミの謝罪と、ゆったりとしたクラレットの感謝の言葉が綺麗に重なった。

「…お礼なんて言って貰うような事は言ってないよ。全部、あたしが願う事。我が儘だよ」
「いいえ、ナツミ。それがどれだけ私にとって嬉しい事か、分かってもらえますか?」
「………」
「前にお話した事が有りましたね。貴女は私の心の声に応えてくれたという事を」
「…うん」
「そして今、貴女は同じ事をしてくださったのです。
こうして傍に居るだけでも過ぎた願いだと思う私の、声にする事すら憚られる願いに応えてくれました。
どうして感謝をしてはいけないのですか?」
「……そっか」

ぐったりと力を失い、深く木箱に凭れる。
天井を見上げ、深く長い溜息を吐いた。

正直、あの一言は戦いなんかよりずっときつかった。
今此処で、この言葉を聴くまで悟られまいと、挫けまいと張り詰めていた気が抜ける。

「応えられてたんだ?あたし。…よかったぁ。
あたしが勝手に思い込んでいただけなのかと思ってた」

何時もとは違う、大人びた微笑みを浮かべた横顔にはもう、冷たい怒りは無い。
有るとすれば、遠い過去を思い出すかのような優しさ。

「そんな筈、ありません。貴女は何時だって私の最大の理解者なのですから」
「…嬉しいなぁ。でも、それはあたしも同じだけど」
「………………」

 想うだけ。
 決して口にしてはいけない。

誰にも知られないように、深く深く閉じ込め、隠してきた。
この醜く浅ましい独占欲も、都合のいい救いを求める言葉も。

 でも、何時か聴いて欲しかった。

幻滅されてもいい。
本当の自分の声を聴いて欲しかった。

言う前に言われてしまったけれど。
それでも。

「ちゃんと貴女に伝えます。だから…何時か聴いてください」
「ん…分かってるよ、クラレット」

穏やかな声を聴きながら目を閉じると、張り詰めていた気が抜けた所為か、急激な眠気が襲って来る。

 ああもぅ。

その心地良さに心奪われながら、ナツミは思った。

 此処で寝ちゃったら、後でクラレットに叱られちゃうよね。
 でも…もう部屋まで戻れないや…

いいよね、と意識を手放そうとしたナツミは、ふわり、と寄り掛かって来た重さと温かさに、一瞬覚醒する。

「え!?」

洗い上がりの甘い香りが鼻腔をくすぐる。
さらさらと柔らかい紫の髪が頬を撫でる。
自分より細い肩が遠慮がちに身体を預けてくる。
僅かに覗く、少しだけ赤い頬。

さっき抱き締めた時には、気付かなかった熱さや感触が、触れた箇所から全身に伝わっていく。
何より、それらと一緒に言葉や想いが流れ込んでくる気がして。

「……………ありがと」

小さく小さく呟いて、重くないよう少しだけ凭れた。
そして、あの時の自分の選択が正しかった事を実感する。

 あたしの居場所は、やっぱ此処なんだ。

迎えてくれた世界が在る。
帰る家が在る。
大切な人が居る。

それらはこんなにも優しい。
それらはこんなにも温かい。

 最高じゃん。

言葉通り、最高の笑みで傍らの片翼を優しく見つめ、それから眠りの淵へと落ちて行った。





「…あり?」

話し終えて、一足先に屋根から下りたトリスが、奇妙な声を上げて立ち止まり、首を傾げた。
それに気付いたアメルが、どうしたのですか?と尋ねると、ほら、と指した先。

「あ……」

其処には寄り添って眠るナツミとクラレット。

「何で二人がこんなところに?」
「さあ、どうして……」
「「あ!!」」

二人は同時に声を上げ、顔を見合す。

「あたし達の所為?もしかして」
「あたし達の所為なんでしょうか?」

綺麗にハモってから、眠る二人に視線を移し、もう一度顔を見合わせ、唇に人差し指を当てた。

「どうしよっか?」

声を抑えて助けを求めるが、アメルも困ったように頬に指を当て、首を傾げる。

「どうする、と言われても…このままでは風邪を引いちゃいますよね。でも…」
「…うん。何か起こすの、勿体無いよね」

 二人とも、すっごい可愛いし。
 
前に回り込み、しゃがんで二人の寝顔を見つめるトリスに、アメルは苦笑しながら歩き出す。

「じゃあ、あたしはお布団を持って来ますから」
「あ、うん。お願いね」

静かに階下に下りていくアメルの足音を聞きながら、座り直したトリスは小さな声で、でもはっきりと音にした。

「ありがとう。ナツミ、クラレット。
二人のお陰で、みんなのお陰で、あたし達迷わずに前に進めるよ。本当にありがとう」

当然返答は無かったが、満足げにトリスは頷く。

頭を、肩を寄せ合う、あどけない寝顔はとても年相応には見えない。
そして…到底人の力とは思えない程の召喚術を行使する人物には。

 本当にナツミが誓約者で良かった…
 本当にクラレットがナツミの傍に居てくれて良かった…
 本当に二人がこの世界に居てくれて良かった…

彼女の部屋で聴いた言葉を思い出す。

異世界から来た人物であっても。
自分と同じに、罪の意識に苦しんできた人物であっても。

この世界も人も大切に想ってくれている、この二人ならば。

少なくとも、自分の先祖と同じ間違いだけは起こさない。
確信にも似た安堵が胸中に広がる。

暫くは二人の寝顔をじっと見つめていたが、ナツミの横へ移動するとちょこんと座り、彼女の肩へ頭を乗せた。

 あたし達も二人みたいになれるかな…?



「トリスさん?お布団を持って来ましたけど…トリス、さん?」

何枚もの毛布を抱えて上がって来たアメルは、目の前の光景に一瞬目を丸くし、それからくすくすと笑った。

 何となく、そんな気はしてましたけど、ね。

落ちないようナツミとクラレットに毛布を掛け、それからトリスの横に座ると、余分に持って来た毛布を自分たちにも掛けた。

そして、そっと、寄り添う。

「…お休みなさい、…トリス」




 翌朝。

四人が居ない事に気付いたフラット中が大騒ぎとなり、総出で捜索騒ぎになった事は言うまでも無く。

ナツミとクラレットはリプレに。
トリスとアメルはネスティに。

大目玉を食らった事も言うまでも無い。


 更に付け加えるとするならば。

別れの際、アメルの放った護衛獣発言に、その手があったか!と思わず手を打ったナツミが居たとか居なかったとか。





終。








アメトリ&ナツクラは同性のコンビなら、1位・2位を争う好きな組み合わせなので書いていて一人で悦ってました。
予定よりどんどん会話が重くなっていくにも拘らず、この四人が書ける事だけが嬉しくて、楽しくて。
どうしようもありませんでした。
(逝って来ますか?自分。つかむしろ逝って来い!←命令形)
ハヤクラ・マグアメ・ネストリでは恥ずかしさに負けてなかなか書けない様な描写も一杯書けて幸せでした。
(…ハヤトとマグナとネスティの冷たい視線が…っ)
だ、だってほら、同性だと照れとか有りませんし、女の子同士だと可愛いですし。
シリアスなほのぼの(?)を目指したのに、タイトル負けはしているわ、オチ付きでギャグ風味になっているわで
申し訳ない限りです。
ちなみに、アメルさんが歌っているのは2のEDテーマ「僕らは生まれた」です。
あのままの歌詞ではなく、どちらかというとあの曲に違う歌詞、という感じでしょうか。
イメージ曲は「海とあなたの物語」。
100回ではきかないほど聴きました。
なぁんとなくですが、一番はナツクラ、二番はアメトリに近い気がしません?

阿呆なコメントは此処までにして。
この話は「FLOWER×FLOWER」の日野司さまに捧げたものです。
が、「其方でも是非上げてください」という有り難いお言葉に甘え、此処でのアップとなりました。
前述したように、この四人はものすごく好きなんですけど、この四人で、或いはこの組み合わせで話を書こう、
なんて思った事が無かったんです。
本当ならばまだ私には書けない、思い至る事さえ出来なかった筈のこの話が出来たのは、偏に「きっかけ」と言う
名の「熱」を与えて下さった日野さんのお陰なのです。
誰かに引っ張られて、自分の新しい可能性を引き出されて書いた話は他に無く、そういう意味でもこの話は貴重ですし、
何より私自身お気に入りの話になってくれました。
今まではオフで出した「月光下」の一連の話(特に一話)だったんですけど、それに勝るとも劣らないほどに。
アメトリ&ナツクラの話の中では勿論、自分が書いてきたSSの中でも最もお気に入りの部類で、最も長いものか
と思われます。

誰かの力、或いは何かを想う事で生まれる力というのは凄いものなんだ、と実感しました。

この出会いを与えてくれたクラレットとインターネットに感謝を。
そして、いつも有り難いお言葉と新しい可能性を示唆して下さる日野さんに心から御礼を。

「有り難うございます」



20040101UP



op