こぉーん、こぉーん。
規則正しいリズムで刻まれる、薪を割る音。
その音を聴きながら、クラレットは用意したものを慎重に抱えると、ゆっくりと歩き出す。
勝手口を開けて、眩むような日が差し込む庭へ。
腕の中のものを取り落とさないように細心の注意を払いながら、音源の方へと。
すぐに薪を割っている人物の背中が見えた。
「…………」
その呼び慣れた名を呼ぼうとして、音は霧散する。
一心不乱に薪を割る後ろ姿。
決して恵まれているとは言えないその体躯。
あの細い身体のどこに、【はぐれ】や騎士をも怯ませる力が潜んでいるのだろう。
真面目でお人好しで、積極的で諦めも悪くて。
性格の違いからか、折り合いが付かないこともしばしばで。
それでも離れる事は無かった。
気が付けば、どちらからともなく一緒に居たような気さえする。
先陣を切って飛び出す、無謀で無茶で優しい、小さくて大きな背。
羨望と嫉妬の眼差しで見つめ、追い続けてきた背。
見つめているうちに、さまざまな事が脳裏に浮かんでは消えていく。
知らず微笑んだクラレットを、薄茶の瞳が捉えた。
「どうしたんだ、クラレット?」
「え……どうもしませんよ?」
「…そうか?」
俺を見て、笑ってただろ?
その言葉を飲み込んだ。
思い出し笑いにしろ、無意識にしろ、あまり笑う事の無かった彼女が確かに微笑んでいたこと。
なんだか、それだけで得した気分になって。
逆に自分の顔が緩んでしまう。
「それより、なにか俺に用が有ったんじゃないのか?」
「あ。はい、そうでした」
持ったままの盆に視線を落とすと、彼の視線もつられて落ちる。
既に汗を掻いたグラスがふたつ。
お手製のクッキー。
きちん、と折り畳まれた真っ白のタオル。
「…差し入れ、です」
優しく細められた紫の瞳に、薄茶の瞳も頷いて答えた。
「サンキュ」
「どうぞ」
木屑を取り払った、切り株に腰掛けて。
からん、と解けかけた氷が鳴らすグラスをハヤトは受け取る。
「ありがとな」
火照った熱い手が、クラレットの白く冷たい指に触れた。
「……………」
「ん?どうした?」
「いいえ。なにも」
「…???」
包み込まれた指をじっと見つめていた彼女に、不思議そうな顔でハヤトは尋ねるが、
クラレットはただ、小さく首を横に振ってそっと手を離した。
自分の手が彼女の指に触れていると、解っているのに気づいていないハヤトが小首を傾げながらも、
グラスの中身を殆ど一息で飲み干すと、その顔は満足なものへと変わって行く。
「くー。美味いなぁ!喉が渇いてたから、余計に喉に沁みるよ」
くはぁ、っと吐き出された吐息と、満足げな横顔を盗み見て、クラレットも密やかに微笑む。
そしてその一挙手一投足を穏やかに見守る。
洗い立てのタオルを首に巻き、ひょい、とクッキーを摘み上げては口に運び、グラスの中身も飲み干してしまう。
そんな、何気ない仕草のひとつひとつ。
せわしなく動き続けるハヤトの手を見つめていたクラレットは、ふ、と自分の手に視線を移した。
先程、ハヤトが触れていた手。
あの熱かった手とは逆に、冷たい手。
「………あの…っ!」
自分とハヤトの手を交互に見つめた後、クラレットは思わず口にしていた。
「なに?」
「あ…あの、あの…っ…」
いきなり真顔で見上げてきたかと思えば、顔を赤らめ、しどろもどろになって俯いてしまったクラレット。
最近ではお互い真っ直ぐに意見を交わす事が多い所為だろうか。
なんだかこういう感じも久し振りだな、なんて思いながら、もう一度、どうしたんだ、と尋ねてみる。
「…………………を……」
「え?」
「貴方の…手を……」
「???」
「…見せて、いただけませんか…?」
「俺の、手?」
なんで?と言わんばかりにきょとん、とした顔が眼前にあって。
クラレットは余計に慌ててしまう。
「あ…!あの、む…無理なら構いません。す、すみませんでした…っ!」
「なんで、謝るんだよ。駄目なんて言ってないだろ」
なぜ彼女が自分の手なんか見たがるのかさっぱり理由は解らなかったが、ハヤトはその手を差し出しかけて…引っ込めた。
腰の辺りに手を押し付けて、ごしごしと汗を拭うと、
「ん」
もう一度差し出す。
五本の指を大きく広げ、掌を上にした形で。
「………………」
大きさは、自分とあまり変わらない。
でも、良く日に焼けたそれの節は太く、剣を持つために出来ては潰れ、すっかり硬くなってしまったまめも有る。
「…触っても、いいですか?」
吸い込まれるように自分の手を重ねようとして、クラレットは再度確認をする。
「…いいよ。あまりキレイじゃないけど、さ」
こんな事にさえ、許可を貰おうとする彼女が可愛くて、苦笑交じりにハヤトは頷く。
さっきまで薪割をしていて熱く火照った自分の手とは違い、今、自分の手のひらの上を滑るクラレットの指は
ひんやりと冷たく、柔らかい。
(あんまり、俺と変わらないと思ってたけど、クラレットの手ってちっちゃいよな。それに…)
その指は細く白く。
このまま握りこんでしまったら、容易く折れてしまいそうな気さえした。
だから、そっと。
ゆっくりと、できるだけ優しく手のひらを滑る指先を捕まえた。
「…ハヤト?」
「俺の手なんか見てておもしろいのか?」
「……おもしろい、とは違うと思います…」
「じゃあ、なんで?」
「…わかりません。ただ…」
「ただ?」
柔らかに包まれた指先。
それがそのまま彼の優しさとなって、クラレットの指を温める。
良く日焼けしているのは。
フラットの手伝いや、剣の稽古に余念が無いから。
剣を取って、率先して前へ出て行くのは。
敵の目から、援護をする自分たちを逸らす為。
そしてなにより。
躊躇いすらも無い、敵味方分け隔てなく差し伸べられる手。
訳有りだと知りながら。
隠し事をしてると知りながら。
初対面の自分の手すらも、迷いなく取った。
―俺は君を信じるよ―
そう言って笑った、あの瞬間は何も色褪せてはいない。
「……ただ、私は…貴方の手が『好き』なのだと思うだけです」
こんな私でも、こんなに温かく優しく包んでくれるこの手が。
「―――――――え??」
彼女の唇から発せられた意外すぎる言葉に、ハヤトは何度も目を瞬かせて声の主を見つめる。
薄茶の真っ直ぐな瞳にまじまじと見つめられて、クラレットは少しだけ身を引いた。
「あ…あの……なにか…もしかして、用途が違っていましたか?」
「い、いや…そんな事ないけど…」
初めて、聞いた。
単語そのものは知ってはいても、意味が良く解らないんです、そんな風に聴いたのは何時だったか。
あの時垣間見た自嘲的な笑みはなく、此処に在るのはとても穏やかで優しい。
「サンキュ。すっげ、嬉しいぜ」
こんな顔で初めて『好き』だ、と言われたのが他でもない自分の事。
嬉しくないわけが無い。
ハヤトは空いた手でくすぐったそうに後ろ頭を掻いた。
もうひとつの手は緩やかに細い指を握ったままで。
「君がそう言ってくれるんなら、俺ももう少しそう思えるかもな。剣を握ってきた甲斐があるよ」
傷だらけで、まめだらけで…元の世界に居た頃よりもずっと分厚く硬くなった手。
この手は小さくて無力で、たくさんのものを取り零して来たけれど。
それでも、譲れないものも、叶えたいものも、守りたいものも在るから。
失わないための、力が欲しい。
彼女のひと言は、背を押すにはあまりにも十分すぎた。
いくらでも頑張ってやる、と思った自分は単純だと解っている。
けれど、嬉しいのだから仕方がない。
頬が緩む。
どんなに引き締めようと思っても、あとからあとから嬉しさが込み上げて止まらない。
そんなハヤトの笑みと繋がれたままの指を交互に見返してクラレットも微笑んだ。
まるで、今日の天気のよう。
目の前の微笑みも、繋いだ手も繋がれた指も。
胸の中までが、ぽかぽかと温かい。
ゆっくりと掴まえられたままの指を折り曲げ、手のひらを重ねるように添えて。
自分の姿が映る距離で見つめ合って、ふわり、と笑った。
………なんだろう、このぼの話は。(照)
今までのハヤクラ話を見て気付いた方がいらっしゃるかどうか解りませんが。
ハヤトとクラレットさんどちらにも『好き』という言葉を使わせた事が有りません。
私自身が(特に人に対して)あまり使いたがらない事と、この二人には似合わ
ないような気がして。
これが「2」だったらトリスやアメルさんが躊躇いなく言ってのけるので使いやすいんですけど
「無印」はナツミさん関係以外はなかなか使いどころが難しい。
この二人なんかは特に。
ハヤトは鈍感だし、クラレットさんは疎い。
そんな二人に『好き』だなんて単語、当てはまりにくい気がするんです。
ハヤクラのお題でも答えてますが、この二人って告白無さそうですし。
なんだか「君を守る」「貴方の傍にいます」とかいう約束で満足してそうなんですよね…
本当にもう、このまったりさんたちめ!(苦笑)
で、この話はそのハヤクラのお題を見ていて思いついた話なのです。
ウチのクラレットさんはハヤトの手が好き、という件を書いてみました。
告白つきで(恥ずかし…)
まあでも、本当の事なんだけど、深い意味合いは持っておらず、深い意味に
取れない二人ですから。
ハヤトの手が好き=ハヤトが好きだと思うのに、そこまで考えが至っていない
クラレットさんと、照れもせず嬉しい、で終ってるハヤト。
のんびりさんにも程が有るよ、君たち(自分が書いたんだろう)
ハヤトVer.も同時に書こうかと思ったのですが、彼は「穏やかに、緩やかに」や
「君と二人で」などで散々書いてるような気もします…(笑)が、機会が有れば
いずれ。
ああでもやはり、私はこういう話が好きですね。書き易いし♪
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