雑踏。 初めて見た時は恐怖すら感じた人並みと、天を衝く建物。 何処からともなく聞こえる、色んな音が交じり合った不協和音。 『クリスマスイブ』という特別なコートを纏った今日だけは、そんな何もかもが優しく感じられるのは、 此処数日散々聞かされたテレビの影響の所為だろうか。 それともこの世界に慣れつつある証拠だろうか。 それは解らないが、何時もより穏やかに笑い合いながら行き来する人たちの顔を見ながら クラレットは素直に思っていた事を口にした。 「みなさん、楽しそうですね」 「あ…っ?ああ、そうだな。この寒いのに、みんな凄いよな」 「それは私達も同じですよ?」 「はは。確かにそうだ」 「それに…とても綺麗です」 真っ白い吐息を吐きながら、光を追う瞳。 不夜城であるこの街から光が途絶える事は無い。 だが、この一週間くらいは無数の赤と緑と白の光が加わって、幻想的な世界を幾つも作り出していた。 何度も足を止めては、振り返り、顔を上げ、目を細めて。 そんな光の中で佇むクラレットをハヤトはただ見つめていた。 光の中でより美しく映える彼女に、僅かに心を逸らせ、握りしめたままの拳に力がこもる。 その手で腰の辺りを探ってから、行こうぜ、と声を掛ける。 目指すは近場の駅前大通り。 テレビでも散々やっていた日本最大級のクリスマスイルミネーション。 目を輝かせ、子供のようにはしゃいでそのニュースを見ていた彼女に、絶対に見せてあげたくて。 クリスマス、ってなんですか? テレビで新聞で。 あらゆるメディアで一斉に言われ始めた単語を、初めて口にしたのは一ヶ月ほど前。 大体において、クリスマスの起源とか、サンタクロースの由来とか、確実な知識を知らないハヤトは、 『12月25日に生まれた偉い人の誕生日を祝う日』 とだけ彼女に教えた。 あまりに大雑把で、その言葉からは自分が知りたい事のいくらも伝わっては来ない。 …彼らしくは在るけれど。 だが、不満そうなクラレットの顔に、ハヤトはぽん、と手を叩いて提案した。 じゃあ、クリスマスには二人で出かけようぜ。クラレットの行きたいところにさ。 我ながら名案だ、と言わんばかりの得意げな表情に、思わずクラレットも顔をほころばせた。 そうして二人は此処にいる。 普段でも人通りが多い場所に各地からたくさんの観光客が訪れている所為もあって、 油断すると人の波に飲まれそうだった。 駅前と言う事で、さらに人の数が激増した気がする。 こうなればもう、イルミネーションがどうこう、という問題じゃない。 ハヤトはとっさにクラレットの手を掴み、やや強引に近くに引き寄せた。 「大丈夫か?クラレット?」 「…あ。は、い…なんとか」 「ちくしょう。なんなんだよ、この人の多さは…っ!?」 「………すごい、ですね…」 時期柄、ある程度予想はしていたけれど、これは半端じゃない。 まだ人並みに慣れておらず、苦しそうな声を上げるクラレットを連れて、どうにか建物の壁際に移動する。 「ふぅ。此処までくれば大丈夫かな、って……わぁあっ!??」 そこでハヤトはようやく気付く。 思いっきり彼女を抱き締める形になっている事に。 反射的に慌てて手を空へと掲げると、腕と人ごみの中から開放されたクラレットが ハヤトの胸に手を付いたまま見上げてくる。 その視線に揺らぐ男心など露知らず、ほんのりと頬を染めたまま、囁くように言葉を紡いだ。 「ありがとう、ございます。ハヤト」 「………あ、うん…此方こそ」 暫しの沈黙。 傍らを過ぎていく人たちの声と足音と、スピーカーを通して流れる、止む事の無いオルゴール調のクリスマス曲。 そして、自分の心臓の音ばかり聞こえてくる気がして、ハヤトは気が気ではない。 この至近距離で自分の動揺が伝わってしまいそうで。 はっきり言って、リィンバウムにいた頃は、そんな風に感じた事は無かった。 むしろ、強い意思を心と瞳に秘めながら、容易く壊れてしまいそうな彼女を守りたかった。 傍にいてくれると心地好くて。 笑ってくれると嬉しくて。 その想いに十二分に満足していたから、それが何なのかまでは考えた事すらなかった。 こちらに帰って来て、彼女が自分を追って来てくれて、そこで初めて他人の口から聞かされて驚いた。 俺は、君を… 自覚をしてしまった。 そしてそれは本当だと思う。 でもこうして一緒にいるだけで充分で、今此処にたくさん集まっている幸せな二人の中の、 その一組になりたいとはまだ思わない。 ただ、ずっとこうして一緒に居られたら。 「…よしっ!」 よく解らない気合の入れ方をし、気を取り直して宙ぶらりんになっていた手は、再び彼女に繋がれる。 「………………?ハヤ、ト?」 決して離さないように、しっかりと握られた手に、一度視線を落としてからクラレットはハヤトをもう一度見上げた。 その顔は赤らんではいたが、決意を秘めたかのような真っ直ぐな眼差し。 「此処は人が多いからさ。場所を変えようぜ。…そうだな…」 辺りをきょろきょろと見回して、それから、こっちだ、と再び彼女の手を引っ張って歩き始めた。 数歩先を歩くハヤト、その背中。 体格的に決して大きいとは言えない筈の彼の背は、他の誰よりも広く大きく逞しく見える。 何時だって見てきた。 街へと走り去っていく背を見た、彼を召喚したあの日から。 椅子に座って思いに耽る背も、楽しそうにお使いをこなす背も、戦いで誰よりも前に進んでいく背も。 そして夜、屋根の上で自分が来るのを待っていてくれている背。 自分には無い力強さに、目を奪われるような憬れを抱きながら、嫉妬をも抱いていた背を、 今、自分は真っ直ぐに追いかけている。 もう、躊躇わない、迷わない、間違えない。 自分の視界の中に、手を伸ばせば届く距離に彼は居るから。 それだけで自分は、この見知らない世界の中ででも真っ直ぐに歩いていける、そんな自信が生まれる。 だから、ずっと此処に居てください。 「…クラレット?」 「……え?」 顔を上げたクラレットの瞳に映ったのは、間近で瞬く茶の瞳。 至近距離での不意打ち。 思わず後ずさった彼女に、ハヤトは不思議そうに首を傾げた。 「どうしたんだ?ぼーっとして」 「…あ、あの…すみません、考え事をしていたので」 「大丈夫か?気分が悪いんなら、無理はするなよ」 この人波に酔ったんじゃないのか? 心配そうに茶の瞳を揺らめかせるハヤトに、本当に大丈夫ですから、そう言って笑ってみせる。 「…それより、此処はどこですか?」 見回せば、知らない建物の中。 周りにはやはり、幸せそうに語っている男女がたくさん居たが、先程に比べればとても少ない数と言える。 「ああ。ほら、そこから外を見てみろよ」 言われて、指された方角に顔を向けて…彼女の顔がこれ以上ないくらいに輝いた。 目の前に広がるのは、テレビで見たあの光景。 赤と緑と白と、時折瞬く蒼と紫の光。 大きなガラスの向こう、まるで手も届きそうな光の渦。 テレビで見るよりもずっと圧倒的な、厳かで優しい光に、子供のようにクラレットは顔を緩め、微笑む。 ガラスに手を付いて、食い入るように見続けるその横顔をハヤトもまた穏やかに見つめていた。 こんなのが見たいだなんて…可愛いよな。 確かに、日本最大級、と自負するだけあって、こんなに大きくて綺麗な物はなかなか見れないだろう。 とは言っても、リィンバイムでは絶対にお目にかかれない代物だろうから、確かにこれは彼女の目を惹くだろう。 下から近づくのは無理、と判断して、向かいのビルに来たのは大正解だったようだ。 こんな事でこんなに喜んでくれるのなら、毎日だって叶えてやりたい。 そう思う。 そうしたら、自分は毎日彼女の笑う顔を見れて、こんな気分になれる。 ……なんだろうな、こういうの。 視線は決して彼女から離さず、指は温かなものが溢れてくる胸に軽く触れていた。 しあわせ? まだ、望んでいないはずだった。 『コイビト』同士になる事なんか。 でも、周りから見れば、自分たちも充分にその仲間入りをしている事に、彼らはまだ気付いてない。 「………ハヤト」 「…ん?」 「有り難うございます」 「……いいって。俺も楽しかったし」 どれくらいの時間が経っていたのだろうか。 近くに居た、たくさんのギャラリーもずいぶん減っている。 薄暗い回廊はツリーの光だけが差し込んでくる。 その光の下に佇み、連れて来て貰って嬉しかったです、と微笑むクラレットは、綺麗で、そしてとても儚く見えて。 ハヤトの鼓動を乱した。 「あ…あのさ、クラレット」 「…はい?」 「う、うん。…実はさ」 こくり、と喉が鳴って。 頭の中では必死に、何度も繰り返してきたシュミレーションをなぞる。 「…………これを、君に。と思って」 コートに突っ込んであった左手がゆっくりと持ち上がり、クラレットの目の前に差し出された。 手の中に有るのは、クリスマス仕様の柄で梱包された小さな箱。 疎いクラレットでも、それがプレゼント用だという事はすぐに解った。 「……わ、私に、ですか?」 「うん。俺、こういうの解んないから、君が気に入ってくれるかどうか自信ないけど」 彼女の手の中に、小さな箱を落とし、照れくさそうに後ろ頭を掻いた。 クラレットはそんな彼から、手の中の箱へと視線を落とし、じっと見つめていたが、小さな声で呟く。 「………………開けてみて、いいですか?」 「う、うん」 綺麗にラッピングされた可愛い紙とリボンを丁寧に解き、自分の髪と同じ色の化粧箱の蓋をそっと開く。 「……………っ!」 「ど、どうかしたか?」 目をまんまるにし、驚いた顔で見上げられて、ハヤトの方が逆にたじろいだ。 「あ、あの…だって、これ……」 言葉が出ない。 新聞の中に入ってくるたくさんの広告。 最近、どうして宝石のものが多いのでしょう?と思っていた。 見た事の無い輝きと美しさに、思わずその広告に見入っていた事もあった。 今、自分の手の中に有るのは、良くは覚えていないが、その中のもののひとつに似ている気がする。 細く滑らかな銀鎖に通された同じ色の指輪。 その真ん中には、淡い紫色の小さな宝石が嵌っていて。 「あ…やっぱりクラレットの好みじゃなかったか?」 言葉を失った彼女を見て、ハヤトが困ったように笑うと、クラレットは首を横に振って何事かを呟いた。 「ごめんな。あんまり良いものでもないし」 何時も金欠で首が回らない自分には、安物といっても驚くような金額だった。 それでも、何かしたかった。 リィンバウムで支え続けてきてくれた事、命を賭けてまでこの世界に来てくれた事。 そして今も自分の傍に居てくれる事。 数え切れないほどの感謝を込めて。 「…だから。そんな事を言ってるんじゃないんです…」 「…え?」 「どうして…私なんかに、こんな…」 「…クラレットだから、だよ。それじゃ、足りないかな?」 「いいえ、いいえ…嬉しいです。すごく、すごく…なんて言ったらいいか、解らない、ほど…」 「…って!な、泣かなくてもいいだろ!?」 紫の瞳を彩ったものに、困惑した声を上げるハヤト。 クラレットはそれを指で掬いながら、精一杯笑ってみせた。 きっと情け無いくらいの泣き笑いの顔が彼に映っているだろうと思いながら。 「…泣かせたのは貴方、ですよ?」 「……ご、ごめん…」 素直に謝るその正直さが、とても心地好くて愛おしい。 「………」 一歩前に出て、ハヤトの胸に額を押し付けて言った。 彼にはっきりと聴こえる大きさの声で。 「…有り難うございます」 「…うん…」 腕ですっぽりと包み隠せる距離に、素直に嬉しいと思いつつ、困惑と照れくささに窓へと視線を逸らしたハヤトが、 もう一度クラレットの名を呼んだ。 「見ろよ、雪だぜ?」 天気予報では何も言ってなかったのに。 ぼんやりとそんな事が脳裏をよぎったが、それどころではない。 都心では今年最初の雪に、ハヤトの心が弾む。 「本当、ですね」 先程までのムードは何処へやら、一転、子供のようにうきうきと楽しそうなハヤトの横顔に視線を送って、 クラレットは微笑する。 「すげぇな。ホワイトクリスマスだぜ。積もったら良いんだけどなぁ」 ちらちらと舞い降りる雪。 この程度では積もる事はまず無いだろう。 そんな事は彼も解っているはずだから。 だからクラレットは、そうなるといいですね、とだけ答えて彼の傍に立った。 「あ。そうだ、クラレット」 食い入るように、イルミネーションをさらに彩る雪を見ていたハヤトが不意にクラレットへと視線を変えた。 「はい?」 躊躇い無く、真っ直ぐに見上げてくる視線を受け止め、受け流し、彼女の耳元に唇を寄せる。 クラレットもその真意に気付き、くすぐったそうな微笑を浮かべ、同じように彼の耳元で囁いた。 「「メリークリスマス」」 クリスマスアンケート1位記念のフリー話でした。 初めての現代版、しかもとても恥ずかしい一品になりました(笑) 凄い楽しかったのも正直な感想ですけど。 ハヤトが自覚してる展開も珍しいですね。 この話は色々ボツネタが有りました。 ハヤトの母上が出てくる件やハヤトがクラレットさんにネックレスをつけてやる件など。 シーンに合わず、泣く泣く切りましたが、有ればもっとほのぼのラブっぷりがアップした 筈でしょうね(あはは) 現代の話も色々想像できてとても楽しいですね♪ 20050101UP Ss Top |