『青天の霹靂』





とてもとても好いお天気で、雨なんか全然降りそうにもなくて。
でも、彼が言うんです。

 雨が降ってくるな。酷くならないといいけど。

驚いて空を見上げても、やっぱり雲ひとつない好いお天気。
でも、彼の勘は絶対当たるから。
休憩も兼ねてあたしたちは何もない街道から一歩離れた森の中へ移動した。
そして彼の言うとおり。
三十分もしない内ににわかに空が掻き曇って小さな雨が降り始める。

「…すごいです…」
「なにが?」
「どうしてマグナは雨が降るのが解るんですか?」
「ん、んー」

所在無さ気に左手で首の後ろを掻きながら、どうしてかなぁ、なんて呟いて。

「なんとなく、だよ。空気の重さというか、湿気を感じる、というか…」

空いている右手は置いてあるカップを掴んで、その中の水を一気に飲み干してしまう。

「…前の旅の時から、敏感でしたよね、そう言えば。あたし、何時もびっくりしてたんですよ」
「そう言えば、旅慣れたフォルテやケイナからも感心された事が有ったっけ」

あたしも自分のカップを取って、水を含んだ。
美味しい。
目指す方角の所為か、少しずつ寒くなっていくのに、喉が渇く事とは関係ないみたい。

かん。

投げ出すように地面に置かれたマグナのカップで雫が弾けた音。
小さく音のない雨は何時の間にか、バケツを引っくり返したような激しさに変わっていた。

「すっげ、雨」
「本当ですね」

あたし達はもう少しだけ雨を避けるために森の中に入って。
街道が見えなくなって、大粒の雨も見えないけど、頭の上で葉に叩きつける音が絶え間なく聞こえる。
お互いの声が打ち消されそうな勢いの雨音。
こんな時、思い出すのは―――

「マグナ」
「ん、なに?」
「あたしと…初めて会った時の事、覚えていてくれてますか?」
「当たり前だろ?あんなに衝撃的な事もあまりないしさ」
「…衝撃的、ですか…」

あたしは思わず苦笑する。
確かに、木の上から女の子が自分の上に落ちてくる、なんてそうそう無いですよね。

「君が樹に上がって下りれなくなったネコを助けようとしてたんだよな」
「はい」

マグナの青紫の瞳が優しく細まる。
思い出を懐かしむような目。
あたしには、まだそんなに前の話では無いのだけど…これがあたしと彼の埋まらない年月の差。
確実に歳を重ねた彼の横顔を見て、あたしはほんの少しだけ悲しくなる。

「で、俺が代わりに助けようとしたら、アイツ、自分でさっさと下りちゃって…」
「引っかかれちゃいましたしね?」
「そうそう!」

大きく頷いて…ふと、マグナの動きが止まる。

「マグナ?」

見上げたマグナの瞳で微かに揺れ動いた痛みに似た、何か。

「…本当、不思議だよな。あの時、樹の上から落ちて来た君と出会って、君が聖女と呼ばれる存在だって気づいて…
それからも色んな事があったけど、俺たちはこうして一緒に居る」
「…そうですね。でも、あたしはあの時会えた人が貴方で、本当に良かったです」
「それは俺の台詞だって」
「………マグナ」
「ん?」
「…いえ。なんにもないです」
「??」

あの時、怪我を治すためとはいえ、貴方の心を覗いてしまった事、あたし、まだ謝っていません。
今日のような…
今日のようなお天気の日には、あの時見てしまった貴方の記憶をどうしても思い出してしまいます。





さっきまで、雲ひとつ無い青空だったのに。
何も変わらない、普段どおりの生活が貴方や、街の人たちに在ったのに。
雷雨。
見渡す限り破壊し尽くされた真ん中で、虚ろに立ち尽くしている貴方。
音を飲み込む音と激しさに身体中を叩かれても、気付く様子も無くて。
自分の心さえも焼いて壊してしまったように、一片の光も無くて。
あたしが今まで【聖女】として看てきた人たちの中の誰より、痛く、暗く、寂しくて哀しい光景だった。
だから、思わず言っちゃったんです。
人の心が見える、なんて知らない貴方に。
『要らない人なんかじゃ在りません』って。





「…マグナ」

もう一度呼んでみると、ん?とやっぱり優しい笑顔のまま、あたしを見返してくる。
だから、あたしも意を決して聴いてみた。

「迷惑じゃないですか?」

そう言うと、今度はとてもびっくりした顔になって。

「なにが?」
「貴方の故郷を見せてください、ってお願いしたのはあたしです。でも、本当に良かったんでしょうか…?」

僅かな沈黙。
雨音だけが、それを埋めていく。



ゼラムを離れてもうすぐ一ヶ月。
いっぱい寄り道をして、でも一歩ずつ彼の故郷が近くなる。
勿論、嫌な事ばかりじゃ無いだろうけれど、彼の故郷は彼にとって哀しい事が多いから。
あたしなんかが付いて来て良かったのかな、なんて今さら思ってしまう。

「……本当の事を言えばさ」

大きな手があたしの頭の上に降って来る。
わしわし、と少し乱暴に、でも優しさが混じった手つきで撫で回す。

「あんまり帰りたい場所でも無かったんだ。確かに生まれた場所だったけど…理由は君も解るだろ?」

やっぱり…

少し、哀しくなる。

「でもさ。君が居るから、帰ろうと思ったんだ。独りじゃ帰れなかっただろうけど、君とならきっと…」

あたしは、はっ、として顔を上げる。
マグナの瞳の中で揺れ動いていた何かが、消える。
ううん、消えたんじゃない。何か、他の形になったんだ。

「あの場所が今はどうなっているのか、あそこに住んでいる人たちがどんな生活をしているのか、
俺の事をどう覚えているのか…考えたら限が無いけど。でも」

マグナの手が頭から背中へ落ちてきて、あたしはぎゅっ、と抱きしめられる。
力の差が全然違うから、振り切る事なんて無理だけど、反射的に彼の胸に手を付いていた。
でも、やっぱり出来ない。

「まっ、マグナ…っ!?」
「何が在っても、君が居てくれたら、大丈夫だから。だから、頼むよ。俺と一緒に来て欲しい」
「……マ…」

嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい。

どんな形でも、マグナに必要とされていること。
それだけが、こんなにも。
あたしは腕を彼の背に回して、思いっきり力を込める。

「そう言えば…」
「それに…」

あたしとマグナの声が重なる。
あたしは思い出す。
あたし自身がお願いした事を。

「…捕まえていて下さい、ってお願いしましたよね」
「捕まえていてくれ、って言われたし」
「「だから」」
「離さないで下さい、絶対に」
「離すつもりなんてさらさら無いから」

さっきとは違う沈黙は、今度は笑い声に欠き消される。
何故でしょうか、葉を打つ雨音がちょっとだけ小さくなったような気がして。
心がとても軽くなったような気がして。



時間を忘れて、お話をしていると。
不意に、マグナが唇に人差し指を当て、それから耳を欹てる仕草をして見せて。
その真似をしてみると、何時の間にか雨音がしなくなっている事に、あたしはようやく気づく。

「雨も止んだし、出発しようか?」
「そう、ですね」

出したままのカップとかクッキーが入った箱を手早く片付けて、あたし達は街道へと戻る。

「あ!」

一足先に森の外へ出たマグナが声を上げて、それに負けないくらい大きな声であたしを呼んだ。
なんだろう、と思って街道へ出たあたしが見たもの。

「………綺麗…」
「な、すごいよな」

あたし達が向かう方角に大きな虹の橋が架かっていた。
それを見た瞬間、大丈夫だよね、なんて意味も無いのに確信が生まれて。
これはきっとマグナに感化されたのよね、なんて思ってしまう。

「アメル?」

虹を見つめたまま立ち止まったあたしに、マグナは手を差し延べてくれた。
あたしは躊躇い無くその手を掴んで、縋るように力を込める。

「ね、マグナ。競争しませんか?ゴールはあの虹の麓」
「うえっ?!」
「…冗談ですよ」

そんなにびっくりしなくてもいいのに。

「行きましょう、マグナ。ずっと一緒に」
「ああ。そうだな」

もう大丈夫、もう迷わない。
どんなに酷い雨でも、こうして止むのだから。
だから、あたしは二人なら虹の麓にだって行けると思ったの。



「「晴れた日も、曇った日も、雨の日も、雪の日も…ずっと一緒に」」








1周年記念&投票第2位の、マグアメです。
真夜中に凄い雨音を聴きながら思いついた話です。
アメルさんとマグナの北の街へ向かうあるひとコマとして書いてみました。
マグアメではこういう話を余り見かけないので、まあ良いですよね?
久方にたくさんアメルさんが書けてとても幸せでした〜(オチはそこかい)
やはりマグアメも良いですね♪



20040603UP


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