――ぎゃん!

買ったばかりの剣、ハースニールの刀身とリザディオの長く鋭い爪が耳を塞ぎたくなるような
金属音を奏でる。

「……くぅっ!?」

左手で剣の腹を支え、押し止めようとするが、体躯の差、そして躊躇いの無い攻撃に、普通の
人間では歯が立たない。
間近で見る、リザディオの顔。
口から突き出した黄色い牙からは、隙有らば相手の肩口に食いつかんとばかりに唾液が滴り、
その身体はなんともいえない異臭を放つ。
なにより彼を恐怖させたのは。
狂気に彩られた真紅の目。
理性も何も無い、ただ動くもの総てに向けられた憎しみと野性の目。
飼い馴らされ、人間に従順な生き物しか目の当たりにした事が無かった彼は、恐怖に打ち震え
ながらも目を離せない。
そんな彼に、本能で悟ったのだろう。
口の端を醜く歪め、血を流しながら剣を握り込み、片方の手を振り上げ鉄槌をして落とそうとした
瞬間。

「何をしているのですかっ!?」
「ぎゃああぁああぁぁぁあああっっっ!!?」

飛来した紫の焔がリザディオの顔を焼く。
手を離し、顔を押さえて思わず後退したその姿に我に返った彼は、よろよろと下がりながら声と
光が飛んできた後方に首だけを向けた。

「クラ、レット…」





彼に召喚術を教える為に訪れたこのベルネット平原で、いきなり【はぐれ】の強襲を受け、
クラレットは歯噛みをする。
街を一歩出れば、そこは無法地帯。
【はぐれ】や盗賊どもが目を光らせている事くらい解っていた。
しかし、こんな昼間から、しかも街のすぐ近くで襲われると考えては居なかった自分の考えの
甘さに悪態を吐きたい気持ちになりながらも、喉は冷静に召喚術を組み上げる。

「混在混濁する紫煙の世界より、契約者の声を聴き、我の為にその力を揮わん。
召喚師クラレットが命ずる。いでよ、ポワソ!」

ぽん、とコミカルな音を立てて出てきたのは、クラレットの腰ほどまでしかない、帽子を被った
幽霊の姿をした召喚獣ポワソ。
愛らしい素振りできょろきょろと辺りを見回していたが、自分たちが敵に囲まれていると知るなり、
勇敢にもリザディオに立ち向かっていく。
あのポワソも十分にレベルが高いとは言えないが、それでもこの5倍近くの敵に囲まれている
今は貴重な戦力だ。

…少なくとも、あの人ならざる力を持ちながら、その脆弱すぎる心ゆえに、その力と剣を揮う事の
出来ない彼よりは。

紫電で敵の脳髄を貫き、白色の落石で頭を潰す。
断末魔をあげながら膝を折る【はぐれ】たち。
そんな彼らを横目で見ながら、あの人の血は確かにこの身体に流れているのだ、とクラレットは
冷静に思う。
良くも悪くも戦いを叩き込まれ、その力を行使する事を躊躇わない自分と。
殺す事はおろか、傷つける事さえも躊躇う彼と。
この状況で、狂っているのは果たしてどちらだろうか。

この【はぐれ】たちも、あのバノッサも、本気で此方の命を奪おうとしているのに、傷つける事を恐れ、
自らその力を封じている。
確かに彼の考えは間違っていない。
攻撃してくるから、と言って迎撃するだけでは、この醜い【はぐれ】たちとなんら変わらない。
解ってはいる。
だけれども。
彼らは血を流しても戦いを止めない。
気絶させた者は、再び目を覚まし起き上がる。
こんな状態では。
傷つけても脅しても逃げようとしない彼らとのこの戦いは、殺さないと生き残れないのだ。

何匹目かのリザディオを倒し、彼へと注視した瞬間、自然と言葉が漏れた。
笑う事よりも挨拶よりも簡単に、紡がれる召喚術という名の呪詛。
それは紫の焔となって敵の顔を躊躇いなく焼いた。

「……ハヤト!」





ざんっ!

顔を焼かれ、よろめいたリザディオの筋肉の鎧を撫で斬り、ハヤトは距離を取る。
クラレットとポワソはハヤトの傍に駆け寄ると背あわせの形で陣を作った。

「ハヤト!どうして倒さないんですか!?」

敵から目を離さず、注意深く彼らの動向を窺いながらクラレットは咎めるように声にした。

「倒すって…殺せって事なのか?」
「…そうです」

一瞬詰まったものの、きっぱりと言われ、ハヤトは身を震わす。

「殺せって言うのか…」

生きているものを殺した事など無い。
肉を、魚を口にし、犠牲の上に自分が成り立っている事は理解出来てても、その命をこの手で
奪った事は無い。
その必要が無かったから。

「……………………………」

血塗れた剣と返り血を浴びた服。
鉄臭い匂い。
肉を斬る感触。
恨みがましい悲鳴をあげる【はぐれ】たち。

「…俺は…!」

こんな事に慣れてしまいたくない。
傷つけ、命を奪う事に躊躇う事を忘れてしまったら、それはもう人間じゃないような気がした。

「…それでも…殺したくなんかないんだ…」
「……それでは、此処で死を選びますか?志も半ばにこんなところで」

クラレットとポワソの奮闘で半分近くに減ったリザディオ。
仲間の死を知りながら、それでもその屍を踏み越えて、じりじりと二人との距離を詰めてくる。

「解っているのでしょう?彼らは決して引かない。
どちらかが死に絶えるまではこの戦いは終わらないと!」
「………解っている…でも…」
「解りました」

ハヤトの言葉をクラレットは力強く遮った。
その瞳に点る決意の火。

「彼らは私が倒します。貴方は殺さなくていい。――――ただ」

まだ自分が扱うには荷が重いと召喚の儀を躊躇っていた道具…紫のサモナイト石を取り出した。

「何をするんだ。クラレ……くっ!?」

痺れを切らして強襲したリザディオの一匹と再び剣を挟んで対峙する。
今度は先の恐怖ではなく、クラレットの言動の真意と、甘い考えを持つ自分の所為で、彼女が自らの手を
汚そうとしているやるせなさがハヤトの心を一杯にした。

「少しだけ、時間を稼いでください。そして私が合図をしたらこの場から離れてください」

この決定に有無を言わせない強さ。
そしてそれは、身を守る事すらろくに出来ないハヤトに突き刺さるような衝撃を与えた。
まるで自分は当てにならない、と言われているような。
傷つけたくない、殺したくない。
でも。
その為に他の人が苦しみを受けて当然だと思えるほど、ハヤトは強くもなかった。

「………くそっっ!!!」

初めて剣捌きに躊躇い以外のものが生まれた。
何故か身体に沁みついてしまった戦い方と力は、あれほど攻めあぐねていたリザディオを容易に打ち倒した。
血の雨も。
痛みで焼け付くような雄叫びも。
肉を抉る感触も。
どれも変わらず不快だったが、ハヤトは必死に剣を振るう。

 まだ、死ねない。

元の世界に帰る術を見つけられないまま。
この力がなんなのか解らないまま。
そして、こんなに弱い自分の為に、命を奪うと言ったクラレットに何も言えないまま。





突然ハヤトの戦い方が変わった事に、クラレットは一瞬目を瞬かせる。
だが、すぐに気を取り直し、紫の石を握りしめ、朗々と謳いだした。

「棚引く紫煙の底より死の吐息を紡ぎ出す者よ―――」
「…棚引く紫煙の底より…死の吐息を紡ぎ出す者よ」

不快な金属音と雄叫びの中で明瞭に流れた来たクラレットの、声。
ちょっとした会話でも自信なさ気に、言葉を濁してしまう彼女が謳う、召喚術という名の詩。
その声に引き寄せられるように、ハヤトは剣を振るいながらそれに追随する。

「黄泉よりいでし、深き腕(かいな)で数多の亡者を抱かん――」
「黄泉よりいでし、深き腕(かいな)で数多の亡者を抱かん――」

呟く様に追随していたそれは、何時の間にか同調していく。
教えた事すらもないそれが、自分の呼吸に完全に合っていることに、クラレットの背中をぞくぞくと
何かが駆け抜けていく。
これが。
これが、魔王召喚の儀で呼び出された彼の力?
頭を過ぎる集中力の妨げを振り払い、最後の一節を言霊に乗せる。

「誓約の下、クラレットが命ずる――」
「誓約の下、ハヤトが願う――」

手の中で発動したサモナイト石はその力を具現化する為に、彼女の魔力を根こそぎ奪い始めた。

「うぅっ…!」

以前初めて使った時には、何日も昏睡が続いた上に暫くは立つ事すらも出来なかった。
だが今はそれを躊躇している暇など無い。
強大な力ゆえに、より多くの魔力を欲する魔の石。
脱力感と痛みにも似た苦しみに抗いながら、それでもまだ自分の中に余力を感じ、それが何故かと自分に問った。
レベルが上がっているから、ではないだろう。

 …もしかして。

魔力を喰らい、リィンバウムにうっすらと現れ始めた召喚獣の姿を認めながら気付く。
同じように顔を顰めながら、髑髏の仮面を被ったそれを見上げるハヤトを見て。
二人は最後の力を振り絞り、高らかに呼んだ。


「「いでよ!黄泉よりの公爵、ブラックラック!!」」

無数の紫電が残ったリザディオを打ち据えた。








「……ん」

目を開けて真っ先に見えたのは、澄んだ青い空。

「あれ?なんで空が見えるんだ?俺、どうしたんだ?」
「…倒れたんですよ」

視界の右にクラレットの顔が見えた。

「倒れた?」
「ええ。まだ貴方は召喚術には慣れてませんから、一度に殆どの魔力を奪われた所為で気を失ったのです」
「…そう、か…」
「でも、貴方が協力してくださったお陰で助かりました。ありがとうございます」
「うん…」

ぼんやりとクラレットを見上げるハヤトの頬を、彼女の艶やかな髪が撫でた。
その甘やかな香りと共に、すえた匂いも風は運んでくる。
その匂いに、ハヤトの意識は覚醒する。

「…そうだっ!戦いは…っ?!」

がばっ、と勢い良く身を起こしてハヤトは上体を支えられず、ふらつく。
その背をクラレットは胸で受け止めるように支え、諭した。

「覚えていませんか?私が召喚術を使った事を…」
「…そう、だったな…あいつら…みんな………」

言うのが怖かった。
だが、クラレットはただじっと待っている。
自分が何を言いたいのか、知っていて総て。

「……………死んだ、のか?」

乾き、ようやく絞り出した声に、クラレットは、はい、とだけ頷いた。

「そう、か…殺したんだな」

見渡す平原に動く物は何も無かった。
広範囲に焼けた草と、リザディオだったものがそこいら中に転がっている。

「私を、軽蔑しますか?」

彼女の胸に背を預けている所為だろうか。
彼女の声が背にどんどん、と叩くような衝撃と重さを伝えてくる。

「…いや。そんな事はしないよ」

彼女が使った召喚術が威力の強いものだと、彼らを間違いなく死に至らしめるものだと解っていた。
だが、自分は止めようともせず、声も、心も、魔力も合わせ、行使したのだから。

殺したかったわけじゃなかった。
でも、『生きたい』という気持ちが勝った時、剣を持つ手を振り上げ、召喚術を使ったのは拭えない事実。

 殺した…俺が。

生きる者を殺めた恐怖と罪悪と嫌悪に駆られ、小刻みに震えるハヤトの身体を後ろからそっと抱きすくめて、
クラレットは耳元で囁く。

「貴方は、愚かです」
「…………」
「甘すぎて、優しすぎて、自分の事など一片も考えない愚か者です。……でも」

逡巡躊躇って、クラレットは続きを口にする。

「その愚かさが羨ましくもあります。私は貴方より戦い慣れています。
それは、そういう背景が私には有ったから」
「!?」

物心ついた時には既に召喚術を習っていた。
失敗すると殴り飛ばされ、新しい術を覚えさせられては異母兄弟たちと血で血を洗った。
血を見ることや、傷つく事、傷つける事に慣れようと幼心に鞭打った。
適応した者、出来ずに壊れ、或いは死んだ者。たくさんの兄弟が居た事も知っている。
戦った後、姿を見なくなった兄弟が居たことも。
そう、自分が死に至らしめたのだ。
気付いた瞬間、心は何処かに隠れてしまった。

「傷つけ、傷つく事に慣れろとも、躊躇いなく殺すことを強要もしません。
その甘さと優しさが貴方の美点でもあるから。
でも、今日のような決して避けきれない戦いもどうしても有る事だけは、嫌でもその身に刻まれたはずです」
「…………」
「貴方がその痛みを忘れない限り、どんな事があろうとも貴方は貴方らしく在れると私は信じています」

魔王の力をその身に宿したかもしれないのに。
この短い同居生活の中でも、とてもそうだと憂慮するものは感じられなかった。
あるのはただひたすら。
この太陽のような少年をもっと見ていたい、という願い。
支えたい、という想い。
不可思議な感覚に戸惑いながら、あの人の事以外で初めて欲したもの。

「……クラレット…」

クラレットから身体を離し、正面から向かい合うと溢れていた涙がすぅ、っと流れた。
滲む視界の中で見た彼女の顔は痛ましいほど、綺麗で。
どれほど辛い思いを繰り返し、どれほど言いたく無い事を自分に伝えたのか。

 強くなりたい。
 殺すことに慣れてしまいたくはないけれど。
 でも、それでも。
 こんなに弱い俺を信じると言ってくれた人を守れるくらいには。
 こんなに弱い俺の為に辛い思いをさせずにすむほどには。

それでも必死に笑顔を作ると、掠れた声でサンキュ、と呟く。
クラレットは小さく笑むと彼の頭を胸に引き寄せ、ぎゅ、と掻き抱く。

「……ぅ…ぁぁああぁああああっ……」

押し殺した慟哭はクラレットの耳にだけ、届いた。





























































「………あのさ」
「…はい?」

何でこんなに泣けたんだろう、と思うくらいに。
苦しい想いが融け流れてしまうまでに。

幾分さっぱりとした気分で、顔を上げようとしたハヤトはそれが叶わない事に気づく。
温かくて柔らかくて、心臓の音さえも聴こえる。

自分が顔をつけている、此処は何処か。

悩みも吹き飛ぶほどに鼓動が高鳴り、顔は瞬時に耳まで紅潮する。
恥ずかしさと照れが一挙に押し寄せて、喉から心臓が出そうになる。

「…は、離してくれない、かな…」
「…もう、宜しいのですか?」

きょとん、とした顔でハヤトの頭から手を離すと、慌てて顔を上げるハヤト。
その赤い顔に、熱でも出たのではないですか?と天然発言を落とし、より顔を近づけてくる彼女に、
眩暈を覚えつつ、いや大丈夫だよ、と距離を取ろうとする。

「すみません。不快でしたか?」
「あ…いや、そういうんでもないんだけど…」

 女の子に抱きすくめられて、なんとも思わない男がいたら見てみたいよな…

現実逃避をしながらも、温かさと柔らかさが残る頬をそっと指でなぞった。

「すみません。なんだか泣く貴方が子供みたいだったので…」
「子供…」

当たってはいるだろうけど、あまり嬉しくもない。
歳の殆ど変わらない女の子に言われるのは、特に。

「リプレさんがこうしてラミさんたちを、あやしているのを見た事がありましたから」
「………なるほど」

間違ってはいないけど、男にそれをするのはどうかと思ったハヤトの額に、クラレットの繊手が触れる。

「??」
「これはリプレさんが元気が出るおまじない、だと仰ってました」

手は前髪をさらり、と掻き分けて。
顔は覗き込むように近づいてくる。

「――――――!?」

額にそっと触れたその温かで柔らかなものがなんなのか。

解った瞬間、今度こそ少年の思考はショートした。









チャットで集まった書き手3人+描き手さん1人で
「ハヤクラ」で「戦闘」と「ラブ」を入れようというお題で書いたもの。
戦闘…?つかラブ??何処が!???
すみません、自分で相当ツッコんだので、勘弁して下さい…

ネタ的には、以前から書きたくて書けなかったものを書ける範囲で書いてみました。
やっぱりハヤトたち名も無き世界から来た4人は、敵を倒すことを躊躇うと思うんですよ。
「殺す」「傷つける」事に無縁だったから、余計に。
こんな事をしてもいいとは思わない。だけど…と言うような葛藤が少しでも伝われば、とは思うのですが、
どうにもフォローが上手くなく、纏め切れていない感は拭えません。
未熟者でごめんなさい(これが書けなかった大きな原因でした。)
因みに、話数的には3話辺り、まだ受け入れる強さを持ってなかった頃として書いたつもりです。

クラレットさんは…やや強いかもしれません。
ですが、これが私の考えです。
彼女が疎く、苦手としたものは日常的な会話や喜怒哀楽などの表情をを作ること、そんな平凡な事柄であって、
召喚術に関しては術の扱い、戦略等叩き込まれ、戦いの最中においても冷静に周りを見る事が出来るのではないかと。
そして、命を奪う事に躊躇いが無いわけがない、でも、自分や他の誰かの命を守る為になら、それも厭わない、と
思える悲しい強さの持ち主だと私は思っています。
常日頃此処で見るほのぼのとした彼女も、一件冷酷にも見える強さを持つ彼女も同じクラレットさんなんです。
何時もと落差が大きいので、「こんなんクラレットさんじゃない!」と思われる方には大変に申し訳ない。

膝枕あり、抱擁あり、と何気なーく混ぜ込んでみたのですが、全然糖度が無かったので、
最後のオチは苦しんで書き加えました(苦笑)
クラレットさんのアレは地です。狙ってやってるわけじゃ、ないんです。(苦)
(でもこのオチがシリアスを台無しにしてるような気がしてなりません…(泣))

書いていて、久々に地金が出た一本でした。
一緒に書(描)いて下さった皆さんの作品は下記にリンクしています。
是非にご覧下さい。


20050216UP



「ハヤクラ」で「戦闘」と「ラブ」のお題で頂いた作品です。
この作品とリンクする同お題の作品に該当するものは

真之進さま「己が闇に打ち克て!
活字中毒者さま「大戦が遺した者
ケイさま「紡いだ想いは彼の胸に

になります。



op