「ネスティ、…もう、ネスティったら!」
とっくに日も落ち、街も眠りに付く時間、狭い裏路地を歩く足音がふたつ。
ひとつは大股で、後ろから追いかけてくる足音と声を気に留めることなく、街の外へと向かう。
ひとつは小走りで、灯りひとつ無い道を躊躇いもせず追いかける。
女の子一人では到底、出歩けるような時間では無いというのに、恐怖も何もないのは、
手を伸ばせば届きそうな位置に彼がいる安堵感と、彼への信頼感。
本当に無視しようと思うのなら、もっと早く歩くことも出来るはずなのに、それをしない不器用な優しさ。
それを知っているから、呼び止める声がそれ以上大きくなることも、批難が含まれることもない。
「ネスティ!」
慌てて彼を追って来た所為で、上手く履けていなかった靴に翻弄されつつも、ようやく彼の背を捕まえる。
「………アメル」
振り向きながら落ちて来た声は、低く不機嫌でアメルの想像通り。
そして、次に落ちてくるであろう科白より早く、アメルは言葉を紡いだ。
「帰れ、なんて言わせませんから」
にこり、と笑って、彼の手を取った。
「…ば、馬鹿か、君は!」
困惑に顔を歪めながらも、ネスティがその手を振り払うことはしない。
ただ、もう片方の手に抱えている何冊もの分厚い本を彼女に見られまい、と身体を捻ろうとするが、
それも無駄な事。
その本からネスティに、そして彼が行こうとしていた方向へと視線を移して、彼女は続ける。
「試すんですよね…【召喚術】を…」
「…………」
「今日は、ネスティが言っていた条件にぴったりですし」
「………」
「一人で出かけちゃうから驚きました。どうしてあたしも連れて行ってくれないんですか?」
わかっている。
散々…口癖のように言ってたから。
でも、何も言ってくれないなんて納得できない。
雲も星もない、ただ黄金に輝く真円の月から零れる光の下。
観念したようにネスティが答えた。
「何度も言ったはずだ。僕がしようとしている事は危険だと。それが解らない君じゃあるまい?」
「わかりません!」
「…アメル!君は…!」
「危険だから、なんてあたしには関係有りません。お願いです、ネスティ。あたしにも見せてください。
貴方が復元させた【召喚術】を…」
「……アメル」
リィンバウム。
かつてこの世界には【召喚術】という魔法が存在し、リィンバウムに連なる世界から様々なもの
を呼び出し、使役したと言われている。
通常の無機物から生命体まで。
子供用のおとぎ話でしか存在しない、亜人・妖精・鬼・竜・悪魔・天使・機械兵士…
今でもごく稀に、爪や角、獣耳や尻尾を持つ人間が生まれる。
それは実際に人間ではない『種』が存在していた証だとされ、彼らの血を引く者が現存していると
いう証でもあった。
しかし、【召喚術】は戦争の果ての戦争で、書物も、それを扱える人間も総て失われた、とされていた。
それを独学で復元したのがネスティ。
いまや子供ですらおとぎ話だと信じて疑わない【召喚術】、それに懸ける熱意を誰よりも近くで見てきた
アメルには、最後の最後で置いていかれようとすることの方が悔しかった。
互いに気付いた頃から一人ぼっちで、寄り添うように生きてきた幼馴染み。
だからこそ、どんな結果でも見たいと思うし、何より彼が失敗するなんて最初っから考えてなどいない。
「……好きにすればいい」
ややあって、そうとだけ答えると、アメルの手を振り切って歩き出したネスティの背を、軽い足取りで
彼女は追いかけた。
「好きにします♪」
二人が向かったのは、フロト湿原の近く。
此処なら街からも離れているし、何かあっても気付かれないだろうし、見つからないだろう。
草むらに隠していた麻袋からさまざまな道具を取り出す。
アメルは真っ先にランプに手を伸ばし、素早く火をつけて彼の手元を照らした。
綿密に書かれた魔法陣を記したノートを片手に、ネスティは白粉で地面にそれを再現する。
直径2メートルはありそうなその大きな図面を引くネスティの足元を見ながら、アメルは尋ねた。
「ネスティは、どんな人が呼びたいんです?」
「……考えた事もない。僕はただ、これが成功すれば良いだけだ」
「あたしは…お友達になってくれる人がいいな。あたしとネスティの新しいお友達」
「召喚獣が友人だと?何を言ってるんだ。召喚獣は召喚主に対して従順であればいい」
「もう。すぐそんな事を言うんだから。ネスティだって…」
「…僕が何だって?」
「…………………そんなつもりないくせに」
「何か言ったか?」
「なーんでもありませーん」
「???」
リィンバウムに住む人間よりも遥かに高い知能や運動性能を誇ると聞かされた異世界の住人。
強力な殺傷能力や心を惑わしたりする不思議な力を持つとも教えられたのに、ネスティにはそんな
事は一切関係ないようだった。
自分には余る力を手にすれば、どうしたって人は変わるのに、この人の力に対する無欲さにはアメルですら驚く。
だからこそ、一緒に居られるのだけれども。
「じゃあ、お友達になってくれる人を呼びません?」
「アメル!」
「だって、ネスティにはどんな人が呼びたいか、それも決まっていないんでしょう?」
イメージは大切だ、と言ったのは貴方ですよ?
くすくすと笑いながら言われて、ネスティは手を止めて顔を顰める。
【召喚術】の成功だけに気を取られて、そこまで考えていなかった自分の迂闊さと、反対にやり込めら
れた間抜けさにネスティは肩を竦めて苦笑した。
「わかった。君にも手伝っていてもらっていたからな。好きにしろ」
「はい♪」
男の子でも女の子でもいい。
自分たちに気兼ねなく声を掛けてくれて、気兼ねなく呼んでくれて。
自分たちにとって掛け替えのない人になってくれる人を。
「…出来たぞ」
月が頭の真上に来る頃、ため息混じりにネスティが呟いた。
それがいささか震えているような気もしたけれど、アメルは何も言わずランプで魔法陣を照らし出した。
今まで何十と見たそれらとは全く違う。
より複雑で精密で。
ネスティの思いの丈が込められているのが、一目で解った。
「もう、あまり時間が無い。すぐに始める」
「はい」
【召喚術】を使うために必要な魔力はこの世界に殆どない、とされている。
強い魔力を持つ人間は先祖に人外の血を持つ者だけと言われ、彼らの力も代を経るごとに薄くなって行く。
そんな知り合いはいないし、力を借ようとも思ってはいない。
だから、より魔力が強いとされる星のない満月の夜、一番高く上がっている時間に行なう必要があった。
ネスティは魔法陣の中央に立ち、アメルは背あわせの形で胸の前で手を組む。
「豊穣の月満ちる世界より、連綿と続く我の声を聴け」
「連なる四界へと、命と輪廻の先と終わりから此処に願います」
ぽぅ、と魔法陣に淡い光が点る。
「この声を聞き届けた名も無き者よ。誓約の下に我も誓わん」
「誓いと名の下に、新たなる誓約を」
近しい文章を重ねることで、成功度を上げるのもネスティが考えた方法。
魔法陣から点った光は障壁となって二人を包んだ。
「今此処に、ネスティが望む―――」
「今此処に、アメルが願います――」
「「いでよ、四界よりの旅人。我らの声を聴き遂げし盟友!!」」
だが、何も起こらない。
「………くそっ!理論は完璧なのに、やはり異世界への門を開ける魔力が足りないのか…っ!?」
「あきらめないで!ネスティ」
アメルは叫ぶ。
今までこれほど魔法陣が反応したことは無かった。
だからこれは完全に成功していると言って間違いないと思う。
ただ、彼が言うとおり『門』が開けられないだけで。
だからこそこのまま出来ない、で終ってしまうのは悔しかった。
せっかく彼の長年の努力が報われようとしているのに。
どうにかして成功させたいと思うアメルは、ほとんど無意識に膝を付き、白粉で書かれ、光を発する
魔法陣にそっと掌を近づける。
「だが、仕方がないだろう。このままでは…―――アメル、何をしている!?」
首だけを後ろに巡らせて、言い募ったネスティはアメルの行動に思わず叫んだ。
自分たちの僅かな魔力と、月の力で作用している魔法陣に直接触れるなど危険極まりない行為。
こんなこと、彼女が知らないはずがない。
「止めるんだ、アメル!」
「………お願い。あたしたちの声を聴いて…」
その掌が触れた瞬間。
ぼぅん!
何かが破裂したような音。
…暴走か…っ?!
覚悟を決めたネスティの耳に次に聞こえたのは、どさり、と何かが落ちる音と悲鳴。
「「…………………っ!??」」
僅かに聴こえた声がお互いのものではないことに、ネスティとアメルは思わず顔を見合す。
「……痛ってぇ…」
再び聴こえた声に、二人は同時にその方向を凝視する。
だが、煙のような真っ白な靄に包まれて、何も見えない。
「誰かいるのか!?」
「誰かいるんですか!?」
こんな時間に、こんな場所に誰もいるはずないだろう。
ただひとつの可能性を除いては。
その考えに辿り着いて、二人の心が逸る。
光の治まらない魔方陣の中、動けない二人。
その向こうで次第に晴れていく靄。
一番に二人の心に刻まれたのは屈託ない笑顔。
身長はアメルの肩ほどまでしかない幼さが残る顔立ち。
見た事のない綺麗な青紫の髪の色をした少年。
大きな犬の耳と太い尻尾を動かしながら少年は、立ち竦んだまま動けない二人に手を差し出した。
「君たちだろ。俺を呼んだのは」
「……呼んだ…?」
「すごくはっきり聴こえたぜ。必死な声が」
「聴こえ、た…?」
「ああ」
「…成功、したのか…僕、たちは…」
実感が湧かないのか、ぼんやりと呟くネスティを後ろから、ぎぅっ、ときつく抱きしめて、そうですよ!
とアメルは笑う。
「あ、アメル!?よさないか!」
「ネスティが喜んでくれないからです!ネスティの夢が叶ったんですよ?!」
「…解った!解ったから、放せ?!」
「もう、素直じゃないんですから」
自然に浮かんでくる涙を拭い取って、アメルはネスティから手を離し、少年へと近づいた。
この子が…あたしたちにとって掛け替えのない人、なんですね。
視線を合わせるとにっこりと微笑む。
「あたしはアメルといいます。向こうのお兄さんがネスティ。あなたのお名前は…?」
「俺?俺は、マグ……」
言いかけて、少年の顔色が変わった。
「や、止めろっ!?」
彼が叫んだと同時に、消えてはいなかった魔法陣の光が再び強く輝く。
想像もしてなかった状況に流石のネスティも完全に声を失い、アメルもわけが解らず目を白黒させる。
ぼふん。
もう一度、今度は些か間の抜けた音と同時に甲高い悲鳴が空から落ちて来た。
「あ。あにゃにゃにゃ…!ど、どいてどいて〜?!」
「こ、こら…!」
どすん!
「いった〜い!」
「…つぅー…」
「……な、なんなんだ??」
「さあ…?」
驚く二人の足元で、今度は完全に魔法陣の光は途絶える。
「うわーい。マグ兄だ。マグ兄だ♪」
「お、お前…無理やり『門』を開いたな??!」
「だって、マグ兄一人で行っちゃうんだもん」
自分を受け止め、下敷きになった少年の胸を容赦なく叩いていた少女は、唖然と見守るネスティと
アメルの視線に気付くと、ひょい、と立ち上がってあどけない笑顔を零す。
「あなたたちが…マグ兄を呼んだ人?」
少年よりももっと小さく、歳は10歳にも達してはいないだろう。
淡い紫の髪と瞳、同じ色の猫の耳と長い尻尾。
大きな瞳をくるくると動かし、人懐っこく尋ねてくる。
その仕草と笑みは痛いほど嬉しく優しく、そしてどこか懐かしく、二人の心を捕まえて放さない。
「ああ…そうだ」
「あなた…は?」
「あたし?あたしは……ぁいたっ?」
ごつん、と真上から降ってきたゲンコツに少女は頭を抱え、声を失くして蹲る。
「こいつは俺の妹のトリス。アメルたちが開いて閉じ切れなかった『門』を強引に開けて来たんだ」
「…だからもう一度魔法陣が反応したのか?」
「そういうことになるのかな?」
「…マグ兄ー!痛いんですけど…!」
涙目で見上げてくるトリスに、少年はもう一度拳を落とそうとして止める。
「お前は来るなと言っただろ?なんで待ってられなかったんだ?」
「…だって。あたし一人になっちゃうもん…」
「だからって…」
「それに、マグ兄を呼べる人がどんな人か、あたしも見たかったんだもん」
むぅ、と頬を膨らませてそっぽを向いてしまったトリスをふんわりとアメルは抱き上げた。
「はわわっ?!」
驚くトリスに、囁くようにアメルは言った。
「誰だって一人は寂しいですよ。あたしはトリスの言うこと、よく解ります…」
「「アメル…」」
少年とネスティが漏らした彼女の名を、確かめるようにトリスが反復した。
「アメル…??」
「そうです。あたしはアメルです。トリス、良かったらあたしとお友達になってくれませんか?」
「う、うん、うん!!」
アメルの包み込むような温かさと心地好さに、全く躊躇わず何度も何度もトリスは頷く。
「ありがとう、トリス。…ネスティもいいですよね?」
「…君が願ったんだからな。仕方あるまい」
「………俺を、俺たちを呼んだのはアメルの願いなのか?」
「そうだが?」
驚いたように目を瞬かせ、アメルとネスティを交互に見やると、少年は首を傾げた。
「おかしいな。俺を呼んだ声はふたつとも同じだった。ネスティもアメルと同じことを…むぐっ?!」
突然口を大きな手で塞がれ、目を白黒させている少年に、微苦笑を漏らしながら呟いた。
「彼女には黙っていてくれ」
「……」
こくこくと頷いた少年を解放し、
「僕の理論は正しかった。それをずっと信じてくれていた彼女にお礼をしただけだよ…」
「ネスティ…」
「【召喚術】は成功した。これからは君たちの話も聴きたい。アメルと共に宜しく、頼む」
「…ああ!」
「そういえば、君の名前をまだきちんと聞いてなかったな」
「あ、そうだっけ?俺はマグナ。これからも宜しくな、ネスティ」
「マグナ、か」
少年らしく、そして曇りのない笑顔に、ネスティも顔を綻ばせながら。
「とりあえずは帰ろう。積もる話はそれからだ」
「…はい!」
「「うん」」
白々と明け始めた空の下。
昨日までとは全く違った今日が始まる。
えーと。
これは「わんにゃん同盟」さまに参入した時から漠然と考えていたものです。
初パラレル、しかもネスアメ+マグトリですし(でもアメトリもマグネスもマグアメもネストリも含んでいると思ってます)まっとうにこのSSのコーナーに置いていいものか相当に躊躇いましたが一応アップ。
しかも小ネタはぼろぼろ有れど、活かしきれなくて続くかどうかも解らない、なんとも微妙な仕上がりになっております。
あー。色々使いたいネタは有るんですけど…!!
しかも妙に書きやすいし(特にネスアメが)
取り敢えずマグトリが犬猫で、その二人を召喚術が失われたリィンバウムで召喚するネスアメ、というのが書きたかったんですよ。
「マグトリが」召喚ではなく「マグトリを」召喚する話。
ネスアメがマグトリを召喚する話、なんてまだ見た事がない気がしたので挑戦です。
(無謀もいいところ)
本当、たくさん小ネタは有るので、そのうちまた書いて見たい気もするんですが。
大きな形として捉えきれていないので連載は無理、だろうなぁ…
どんな形でもいいです。
少しでもお気に召して頂ければ幸い。
20050228UP
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