「……………。あの、アヤ、さん…」
硬い声に背中を叩かれて、アヤは立ち止まる。
あら?
何か、違和感が有った。
それに首を傾げながら振り向くと、そこには、間違えようのない声の持ち主の姿。
「はい。どうかされましたか?クラレットさん」
「…実は。貴女の持っている力について、お話をしたいと思って」
色は違えど、長い髪を持ち、赤を基調にした二人のシルエットはとても良く似ている。
…やっぱり、まるで鏡を見ているみたいですね。
アヤは心の中だけで呟いて小さな笑みを零した。
目の前にいる少女とは対照的に。
「じゃあ、私の部屋に行きましょう?ちょうど私も聴きたいな、って思っていたところですし」
「…はい」
「では、先に行っててください。私はリプレさんにお茶を頂いてきますから」
「解り、ました」
言葉少なに、そうとだけ答えて、歩いていくクラレットの背を見送り、アヤは台所へと向かった。
お茶をふたつ淹れて部屋に戻りながら、アヤは昨日を思い出した。
昨日、荒野で出会ったばかりの彼女は、自分が召喚された経緯を知るただ一人の人。
そして何より、元の世界に帰す為の尽力を惜しまないと言ってくれたただ一人の人。
召喚された理由が『事故』だった事にショックは隠せないが、それでもアヤは不思議な感覚を抱いていた。
彼女の声を聴いた時に。
彼女の姿を見た時に。
確信にも似た感情を。
すっぽりと心の隙間が埋まるような感覚を。
出会ったばかりだと言うのに。
勿論、それは自分だけであって、彼女は見てのとおり、まだ心を許してくれてはいないけれど。
確かに私も人付き合いが上手い方ではありませんけど…
そう思い至って、アヤは気づく。
先程の違和感に。
部屋に帰り、持って来たカップのひとつをクラレットに手渡すと、何故それが自分に与えられたのか解らない、
と言った顔で目を瞬かせる。
いいですから、飲んでください。
そう言うと、伏目がちに有り難うございます、と呟いてカップに口付ける。
そして次の瞬間、彼女の瞳が優しく細まったのをアヤは見逃さない。
たったそれだけの事に、何故だろうか、心が温かくなる。
彼女が微笑む姿を想像すると、自然と笑みが零れた。
きっと、素敵でしょうね。
穏やかに微笑むアヤに気付いたクラレットは顔を引き締め、両手に持っていたカップを置いた。
「貴女のその力についての話をします。よろしいですか?」
「はい」
そう言って彼女もまた真顔で、見つめ返した。
聞かされたのは、召喚術と言う名の魔法の話。
それの特性、扱い方、心構え。
とつとつと真摯に語られる言葉を、アヤは聞き漏らすまい、と耳を欹てる。
「……以上です。他に質問は有りませんか?」
「あ…っと。いえ、大丈夫だと思います」
教えて貰ったばかりの召喚の基本動作を、身振りを交えて反芻していたアヤは、動きを止めてクラレットを振り返った。
「有り難うございます」
「……どうして、礼など言うのですか?」
「どうしてって…私の力がなんなのか、それをどう使えばいいか、教えてくれたのは貴女ですから。
お礼を言って当然ですよ?」
「…当然、ですか。私が貴女をこの世界に呼び出してしまったのに?」
帰れるかどうかも分からない目に合わされて、それでもそんな言葉が言えるものだろうか。
「でも、帰る方法が無いわけじゃ有りませんし。クラレットさんは私を帰してくれる、って言ってくれました。
私、貴女を信じています」
胸に手を当て、祈るような仕草で零した花のような笑み。
そこに疑心の思いは欠片も感じられず、クラレットの心を軋ませた。
そして、自分がそういう目で彼女を見ている事が酷く恥ずかしかった。
だが、会ったばかりの彼女を、ましてあの召喚事故で呼ばれ未知の力を手にした彼女を手放しで信用出来るはずが無い。
もしかしたら、人の形を象っただけの恐るべき存在であるかもしれないのに。
でも…
「……召喚や誓約の儀式は、本来なら普通の人に教えるべき事では無いのですが…
貴女を信じて、特別にお教えようと思いました。…アヤ、さん」
するり、とそんな言葉が出ていた。
とても、柔らかな口調で。
教えたのは、その未知の力を暴走されては困るから。
教えたのは、自分が彼女をコントロールしやすいように。
それだけの筈なのに。
自分の声と言葉に驚くクラレットに、アヤはただ微笑みを返すだけ。
そうして、冷え切ったカップの中身を一口飲んで、ひとつだけ聴いてもいいですか?と尋ねると、彼女はなんでしょう、と首を傾げた。
「昨日、初めて私と会った時に、クラレットさん私の事を『アヤ』って呼んだのに、どうして今日はさん付けなんですか?」
「…え??」
まさかそんなところに質問が来るなどとは全く予想しなかったクラレットは、初めてその頑なな表情を崩し、唖然と口を開けた。
それが事の他可愛くて。
「あ、あの…何かいけなかったですか?」
「いえ?どうしてかな、と思っただけです」
「……昨日は夢中でしたから。冷静に考えると失礼だと思ったので。それだけの事です」
「そうなんですか…少し残念ですね」
「…え?」
思わず顔を上げてアヤの黒瞳を見返した。
その中にははっきりと自分が映し出されている。
着ている服の所為か、長い髪を持つシルエットの所為か。
初めて彼女を見た時から感じていた既視感。
こうして真っ直ぐに見つめあうと、鏡でも覗いている気持ちにすらなってしまう。
決定的に違うのは、自分は彼女のように微笑み、簡単に他人を信じる事など出来ない、と言うこと。
それなのに。
私はどうかしてしまったのでしょうか?
アヤの言葉が皮膚に触れ、もっと奥へ入り込んでくる。
アヤの笑みが心を軋ませ温めていく。
それは決して不快なものではなく、むしろ逆に感じている自分。
以前には、感じた事の無い感覚にクラレットは戸惑う。
そんなクラレットに、アヤは続けた。
「本当に凄く嬉しかったんですよ。貴女…クラレットさんさえ良ければ、そう呼んで欲しいです」
「………あ、あの…は、い……」
こんな近くで、裏も表も無く笑われては、頷くしかない気さえする。
この笑顔を壊してしまってはいけない気さえする。
本当に、私は…
心裡で呟き、自嘲的に浮かべたはずのそれは、とても穏やかな笑顔になって表れた。
一瞬だけ驚き、もっとずっと優しく笑う黒瞳を受け止めて、クラレットは言う。
「それでは、私の事も『クラレット』と呼んでください。…それで、お互い様、ですよね?」
「……。うふふ、そうですね」
嬉しくて、どうしてこんな事がこんなにも嬉しいのだろう、と思うくらい嬉しい。
その嬉しさに素直に心を預けて、二人は笑い合う。
「では、これからも宜しくお願いしますね、クラレット?」
「はい。…アヤ」
アヤさん初書きです。
あわわ、この時点でまだ彼女でクリアしてないんですけど…違和感無いでしょうか?
4人のパートナーの中で主人公を呼び捨てる事に、クラレットさんが一番違和感が有りました。
アヤさんと同じで「さん」付けしても全然大丈夫ですよね。
でも、逆に彼女が呼び捨てにしてくれる事が、凄く嬉しくて。
彼女が呼び捨てる人があまり居ないからこそ。
親近感が出ましたね。
此処ではやはりパートナーを「さん」付けするアヤさんにもそれをクリアして貰いました。
同性同系、雰囲気もシルエットも良く似たこの二人が穏やかに笑う様は、想像するだけで幸せそうです♪
20041216UP
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