ざわり、とさざなみが立つ。
それは窓際から発生して、すぐにクラスの半分ほどを巻き込むうねりとなる。
ひやかし。
好奇心。
嫉妬。
色々な感情と視線を受けて、波はさらに大きくなり、当事者を襲った。
「おい。新堂!」
波の発端が、一番廊下側で鞄を探る勇人へと言葉を投げかけた。
それはもう、それまで波に気付かなかった、他のクラスメイトまでもが気付くデカイ声で。
「来たぜ」
「…何がだよ?」
勇人はまだ鞄の中を諦めずに探している。
有るはずなのに、見当たらない弁当箱を。
顔も上げもせず、ぞんざいに答えた勇人に、彼は言う。
「か・の・じょ!!!」
「………!!!??」
勇人を呼んだ時よりもずっと大きい声で叫ぶ。
びくり、と肩を震わせて思わず顔を上げた勇人。
どどっ、と窓際に駆け寄る、野次馬なクラスメイトたち。
ただでさえ、賑やかな昼休み。
勇人のクラスは一番の盛り上がりを見せていた。
助かった、と思いつつ、好奇の目に見守られながら、勇人は窓際に立った。
3階の窓から見下ろしても、彼女のあの髪の色は目立つ。
一度彼女を見た事が有れば、顔は見えずとも一目で判るだろう、綺麗な紫の髪は陽の光に照らされて、
輝いていた。
「クラレット!」
恥ずかしさに耐えつつ、するり、と出た声は優しさの艶を帯びている。
きょろきょろと辺りを見回していた彼女、クラレットは自分を呼ぶ声に顔を上げ、勇人と視線が合うと
にっこりと微笑む。
ちょいちょい、と小さく手招きされた仕草に、彼女は校舎の中へと駆け出した。
ひゅーひゅー!
何度受けても慣れない、やっかみと冷やかしの口笛の洗礼を浴びつつ、勇人は席に戻ると、頬杖をついて、
溜め息をひとつ。
いい加減にしてくれよな…
こういう状況になったのは、一度や二度じゃない。
元々、忘れ物をする自分が悪いのだが、彼女が来るたびに冷やかしてくるクラスメイトもどうかとも思う。
それでも、ずいぶんマシになった気もする。
初めて彼女が届け物をしに来た時は、あの新堂に彼女が!とクラス中をどよめかせた。
クラレットと共に、クラスメイトに囲まれ、
男子には、なんでお前に彼女が!と詰め寄られ、紹介しろ、と脅迫され、
女子には、何処で知り合ったの?と質問攻めにあい、女子には興味無さそうなのにね、と冷やかされ散々だった。
さらに、クラレットが外国人だとか、互いに名前で呼び合う仲だとか、色々火種になる事実は有るが、一番
クラスメイトたちにとって衝撃的だったのは一緒に暮らしている、という事だったらしい。
バレた時は悲鳴と怒号が上がり、他のクラスの生徒までもが、何事かと覗きに来る始末。
午後からの授業もまともなものにはならず、噂とメモが教室中を飛び回り、何度も後ろの席のクラスメイトに背中
を突かれた。
思い出すだけで、うんざりしながら、もうひとつ溜め息を吐いた時。
「ハヤト」
誰より聴きなれた、だけど聴き飽く事の無い声がやんわりと耳朶に届いた。
途端にハヤトの顔も緩む。
「クラレット、サンキュ」
「もう、あれほど忘れ物はしない、って言ってたじゃないですか」
「ゴメン、ゴメン」
クラスメイトそっちのけで始まったぼの会話に、数人は頭に手を当て壁に凭れかかり、砂を吐く。
「あれ?どうしたんだ、お前ら」
クラレットから待望の弁当を受け取り、一転ほくほくとした顔の勇人が、脱力しまくったクラスメイトたちに視線を移す
が、彼らの答えは非常に重い。
「……………いや、なんでもない…」
「そうか?ま、いいや。とにかくこれでひもじい思いをせずにすんだぜ」
さっそく包みを開け、嬉しそうに中身にありつく勇人を見守り、じゃ私はこれで、と踵を返しかけたクラレットを引き止めた
のは、数人の女子の声。
「クラレットさん。お時間が有るのでしたら、こちらでもう少しお話しません?」
代表でそう言ったのは、クラスの…学年の女子で一番人気と噂の樋口綾。
「あ、でも…」
だいぶこのクラスの雰囲気に馴染んできたとはいえ、生来あまり会話の上手く無いクラレットは困ったように眉を顰め、
助けを求めて勇人を見る。
「良いんじゃないか?話してみろよ。まだ午後からの授業には時間が有るしな」
「はぁ。貴方がそう仰るのなら」
「じゃあ、こっちこっち。クラレちゃん」
「一度、ゆっくりお話したかったのよね〜」
ゆっくりと頷いた彼女の手を何人かの女子が引いて、その紫の髪が輪の中へと溶け込んでいく。
すぐに始まる女子だけのおしゃべりを、弁当を食べつつ見守っていた勇人の周りには何時の間にか、男子ばかりが集
まっている。
「な、なんだ…?」
囲まれ、思わず箸を動かす手も止まる。
「なあ、おい。新堂」
「素直ーに答えろよ?」
にこやかな音声の中に、怒気が含まれているような気がするのは気のせいだろうか?
クラレットは可愛い。
それ故に、外部の人間ではあるが、このクラスの男子の中では樋口綾に匹敵するほどの人気になっている事を勇人は
知らない。
しかも、彼女がこの学校に編入する、という噂が流れている所為でさらに盛り上がっている事も、勇人は運良く知らない。
…知らされていない、と言う方が正しいのだろうか。
どことなく剣呑な雰囲気に、口に入ったままの唐揚げを飲み込む。
頭の中では、なんかはぐれに囲まれた時みたいだな、なんて見当違いな事を思いながら。
「なんだよ?」
「このクラスの男子の代表として、単刀直入に聴く!!」
クラスメイトでも特に仲の良い友人の一人、宮路がびしぃ!と箸を銜えた勇人を指差した。
「…だから、なんだよ?」
「…お前」
「???」
「クラレットちゃんに、マジで手ぇ出してないだろうな!」
「…………………………………………は?」
きょとん、と目を丸くした勇人に他の男子がたたみ掛けた。
「あんな事やこんな事なんかしてないだろうな?!」
「…へ?」
「嫌がる彼女を襲ってねぇだろうな!?」
「……な…!??」
さすがにここまで言われれば、いくら鈍い勇人でも、それが何を指しているかくらい解る。
かあぁ、と身体の底から熱い何かが込み上げてきて、がたん、と立ち上がったかと思うと叫んでいた。
「な、なに考えてるんだ!!お前ら?!」
「何考えてる、って言われてもなぁ…」
「そうそう。あんなの見せつけられたら、勘繰りたくもなるぜ」
「恋人同士なんだろ?お前ら。あー、でも恋人つーか、どこぞの熟年夫婦だよなぁ」
「うんうん」
「………お前ら…」
顔が熱い。
見なくても真っ赤になっている事くらいは簡単に予想がつく。
その上、恋人同士どころか、夫婦に見られるなんて、いったい彼らには自分たちがどう映っているのか、考えると頭が
痛くなった。
「まあ、でもその反応じゃまだクラレットちゃんに手は出してないって事だな」
「だから!なんでそういう話に…!」
思わず声を張り上げる勇人だったが、はた、と気付く。
(こんなのクラレットが聴いてないだろうな?)
聴かれてたら、どう思われるだろう。
おそるおそる彼女が人の輪の中へ消えていった場所へ目を移し、目を瞬かせる。
「クラレットは?」
ほんの直前までの激昂は何処へやら。
少し慌てて教室中を見渡す勇人に、誰かが言った。
「クラレットちゃんなら、さっき樋口や何人かの女子が連れ出してたぜ」
「樋口らが?」
綾の性格は何となく知っている。
連れ出してどうこう、という問題は無いはず。
もしかすると彼女の性格だから、親切心で校舎でも案内してくれているのかもしれない。
取り敢えずはほっと胸を撫で下ろすと、宮路が肘で突いてきた。
「お前って、本当クラレットちゃん命だよな〜。彼女の事しか見えてないし」
「…宮路。お前、その話好きだな」
「ああ。好きだとも!」
お前をからかうネタだからな。
いっそ爽快に胸を張って見せた彼の姿に、忘れかけていた頭痛が蘇る。
「…いい加減にしろよな…」
頭を抱えた勇人の後ろで、男女の歓声がわっ、と上がった。
何事かと後ろを振り返ると、すでに出来上がっている人だかり。
聴いてると、可愛いだとか、めっちゃ似合ってるとか、そんな賞賛の声が口々に上がり、真ん中の方では綾がなにや
ら言っているのがかすかに聞き取れた。
ぼんやりと眺めている勇人の前で、人垣は割れ、そこから綾に手を引かれて出てきたクラレット。
それは、この世界にまで追いかけて来てくれたあの赤い服でも、今日ここに着てきた長袖とロングスカートでもなく。
この学校の女子の制服。
「どうですか?新堂君。私のでは少し丈が短かったようなので、他の子に借りて着てもらったんですけど…」
似合っていた。
洒落にならないほど。
からかわれたからではなく、今度は、照れのような嬉しさのような熱い衝動が込み上げる。
長い髪がひとつにまとめられていたのも新鮮だったし、普段から肌を晒さない彼女の脚が、スカートとハイソックスの
間からちらり、と見えるのも勇人の動悸を誘った。
だが、思いとは裏腹に身動きは勿論、声ひとつ出せず、ただ見入ってるだけの勇人に、気恥ずかしそうに制服を纏った
クラレットの表情が曇る。
「…ハヤト?やはり似合いませんか?」
間近で、泣きそうな顔で問われ、ようやく我に返った勇人は慌てて首を振る。
「そ、そんなこと無いよ。ゴメン、あんまり似合ってたからさ。つい、見惚れてた…」
「………ありがとう、ございます」
嘘が苦手な性格は、クラスメイトが再び眩暈を起こしそうな科白をも正直に言わせる。
それが解っているクラレットは、彼の言葉に一転、笑みを零した。
勇人は勿論、このクラスの誰もが見惚れてしまう、花の笑み。
暫くはそのまま話をしていたが、授業開始が近くなり、着替えに行ったクラレットを見送って男子たちが溜め息を吐いた。
「あー。やっぱめちゃ可愛いよな。クラレットちゃん♪」
「そうだよな。これで、あの子が編入してくるのが、マジですっげ楽しみになったぜ」
「同感!」
「そうなるとやっぱり…」
40近い瞳が一斉に勇人に向けられる。
「アレが問題だな」
「あのラブっぷりだしな…」
「でも。まだ手ぇだしてないみたいだし。脈はあるかもしれないぞ」
思い出すのも腹立だしいくらいに仲睦まじい二人の姿。
誰が見てもお似合いなのは解っていても、感情と理解は別物。
殺気の込められた眼差しに、怪訝そうな顔で、勇人は口を開く。
「…なにか、言いたそうだな」
「まあ、お前に言いたい事はたくさん有るけど…」
「取り敢えずは」
「そうだな」
「??なんだ」
『テメーにクラレットちゃんは勿体ねぇ!!!!!!!』
綺麗に揃った科白。
勇人の受難の日々が始まる日は近い。
制服のお題では、これしか思いつかなかったです。
これしかなかったのに、書けるまでに結構時間かかりました。
覚悟決めて書きました(笑)
それなのに、思っていたよりずっと甘い感じになってしまって、書いてる私の方が砂吐きそうでしたよ…
「可愛いラブっぷり」の範疇に収まってるのかな、これ…(自信なし)
もうすでに制服着て学校行ってる姿より、初めて制服に袖を通したクラレットさんを見るハヤトの反応数行が書きたいが為に書いたんですけど…
どうなんでしょう、ちゃんと伝わるかな?
クラレットさんは男女問わず好かれ、ハヤトは男子に敵視され、女子にからかわれる日々が待ち受けています。
がんばれ、ハヤト(合掌)
20050501UP
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