「なぁ、クラレット?」

背後からの邪気のない声に、クラレットは小さく嘆息した。

 また、ですか…

すでに今日何度目の誘いになるだろう?
そのたびに断っているというのに、全く懲りた気配が無い。
今日だけではない。
此処に来てから、ほぼ毎日の、まるで嫌がらせとしか思えない彼の訪問に、クラレットは肩を竦め、
不承不承振り向く。

「…なにか、ご用ですか?」

今の自分の顔は不快に歪んでいるだろう。
それを隠そうともせずに、溜息混じりに紡いだ声もとても低かった。
返ってくる答えも解り切っているのに、こんな問答は意味が無い。

しかし、彼はそれに気づかないのか、あえて無視したのか。
振り向いた自分に、口の端を緩ませて言った。

「だからさ、一緒に外に出てみないか?」

予想通りの答え。
クラレットはゆるゆると首を振り、拒絶の行動を取る。

「…それに関しては、先ほどもお断りしたはずですが?」

ほんの一時ほどの話。

「ああ、あれから君の気も変わったかなって思ってさ」

返ってくる答えはとても明るく軽く、自分とは雲泥の差。

何も考えていないような、能天気な笑顔が癪だった。
自分が騙しているとは知らない笑顔が、胸にチクリ、とした痛みを与えた。
そして、なによりも。
あそこに居た頃には見た事も無い、本心からの笑顔が眩しかった。





そして、クラレットは気づく。
何時の間にか、こんなにも心乱されて、冷静な思考が出来なくなっている自分に。

召喚師たるもの、常に平常心を保つべし。

そう教わってきた。
人の手には有り余る強大な力である召喚術と、短剣を駆使し、異母兄弟と血で血を流す。
ただ、父親に認められたいがために。
そのためには。
彼が望む冷徹な心が必要だった。
例え、兄弟の血でこの手が汚れる事になっても動じないほどの。

その、心が。
こんなにも簡単に揺るがされる。
こんなにも、彼に。

 いいえ、私は心強き者ではなかった…

弱かったからこそ、あの魔王召喚に失敗したのだ。
そして、彼を呼び寄せた。
この失態は、贖わないといけない。
彼の能力を見極める事で。





ふ、と微苦笑を漏らした自分を見たのだろう。
その薄茶の瞳がぱちぱちと瞬く。
とても、驚いたように。
そして、笑顔が零れた。

あまりに嬉しそうに笑うものだから、クラレットは再び怪訝そうに眉を顰める。
まさか、自分が笑ったことに、反応したなんて思いもしない。
それ以前に、自分が苦笑とは言え、笑ったことにすら気づいていないのに。

「…なにが、そんなにおかしかったのですか?」
「あ……いや、ゴメン」

責めたわけでもないのに、首を竦めて素直に謝るその仕草が、自分と同年齢とは思えない
ほどの幼さを窺わせた。

「………………わかりました」
「え…?」
「どこかに出かける、と仰っていたのでは?」
「いいのか!?」
「いいもなにも…」

このまま放っておけば、彼はこれから毎日でも自分を誘いに来るだろう。
それは自分にとってとても疎ましいことだし、それを防ぐには彼の願いを叶えてしまえば良い。
なにより。
もしかすると、彼の力の片鱗でも垣間見る事が出来るかもしれない。
汚名を少しでも返上できるかもしれない。
思っている事をおくびにも出さず、クラレットは淡々と答えた。

「貴方が、そう仰ったのではないですか。ハヤト」









散歩というものはこういうものだろう。
理屈では解る。
だが、しかし。
自分は今までこういったことをした事が無い。
気の向くままに行きたいところに行くなどと。
だから、このゆっくりとした時間が落ち着かなくて苛々する。
こんな…あまりに理路整然としない。
彼が気ままに足を向ける先に、何の脈絡も無い。
まるで、腹立だしいほど呑気なハヤトの性質そのままに。

「ハヤトっ!」

何かが胸に込み上げてきたと思った瞬間には、咎めるように呼んでいた。
肩越しに振り返った、数歩前を行く彼は、向けられる厳しい眼差しに困惑しているようだった。

「…クラレット?」
「貴方は!貴方は私を何処に連れて行こうとしているのですか?こんなことに、何の意味が
あるんです!?」

一気に言い放つ。
呆気に取られていたその顔は、苦笑混じりの笑みになる。

(え…?)

その一瞬、寂しげに瞳が伏せられたのを、クラレットは見逃さなかった。
傷つけたのだと、なぜかすぐに理解できた。

「あ…あの……」

つきり、と胸に痛みを感じながら、出てきた言葉は先ほどまでとは全く違う、消沈した音。
その音は、続く前に打ち消された。
他でもない、彼によって。

「あのさ、クラレット?」

これほどまで批難を向けても、返って来るのは優しい声色。

「散歩っていうのはさ、こんなもんだろ?当てもなく、ぶらぶらするのが良いんじゃないか」
「…………」

言い返せない。
自分が思っていたとおりの正論。

「…なあ、クラレット。何か、感じないか?」
「……『何か』?」
「あの部屋にいる時と何が違う?」

まるで幼子を諭すような物言い。
それが少し不満だったが、空を見上げた彼につられるように顔を上げた。
よく晴れた青い青い空。

「…空が見えます」
「うん。他には?」
「今日は少し…風がありますね。少し、冷たい…」
「そうだな」
「それに…とても眩しい…」

自然と紫の瞳が細まった。
無意識に影を作る、手。
圧倒的な光量。
目も眩むほど眩しくて、自然と体が温まる。
あの部屋にいたのでは、解らないこと。

「ああ…」

頷くハヤトの声を聴きながら瞳を閉じると、不審と苛立ちに荒れていた心が、すうっ、と引い
ていく。
代わりに居たのは、ハヤトの簡単な質問に素直に答えている自分。
不思議なほどに、落ち着いていた。
今一瞬まで在った、あのやり場の無い感情はなんだったのか、と思うほどに。
体と共に、胸の内までもが何かが優しく満ち照らしている気さえする。
何時もの、落ち着いた自分を取り戻すと、入ってくるのは、あの部屋では聴こえなかった音
と匂いと光と温かさ。

「次、行ってみようぜ?」

ふ、とクラレットの顔が緩んだのを見て、ハヤトは優しく彼女の手を引いた。

「…はい」

素直に答えた。
素直に引かれるままついて行く。

繋がれた指を見ながら、彼は何かに似ている、とふと思う。
それがなんだか解らなかったけれども。
自分のような、嘘と不審に塗れたものではないことだけは確かだった。





アルク川では、光る水面に優雅に泳ぐ魚が見れた。
冷たい水が気持ちよかった。
腰を下ろせば土の香りがして、柔らかな緑のクッションが柔らかかった。
森に行けば、新緑の木々の香り。
自分が住んでいたあの森とは全く違う。
生命の息吹がどこからでも聞こえてきた。
商店街に行けば、あちこちから立ち上る美味しそうな香り。
迷子になりそうな人波と、威勢の良い掛け声。
リプレには内緒だからな、と買ってくれた大粒の飴はとても不思議な味がした。





「悪かったな」
「え…?」
「嫌がってたのに、無理につき合わせたりしてさ」
「あ…」

そんな事、とっくに忘れていた。

「でも、たまにはこういうのもいいだろ?」
「…そう、ですね」

紅色に染まり始めた空を見上げながら、クラレットは思う。
これだけの時間があれば、調べ物は進んだのではないかと。
結局、何ひとつ、彼の力の片鱗すらも見れなかったと。

でも、それを不満に思う自分が居ない。
むしろ、鬱積していた憑き物が落ちたみたいに、晴れやかな気持ちにさえなっている。
こうして、ハヤトと共に居ることにも、なんの抵抗も無い。

「…当然の事なのに…私は、太陽が暖かいということさえ、忘れていたんですね…」
「クラレット…」
「おかげさまで、良い気分転換になりました。明日はまた、早く貴方が元の世界に戻れるよう、
調べますね?」
「ああ、その事なんだけどさ」
「はい?」

頭の後ろに手を回して、ぐぅっと伸びをする。
どこか、犬か猫を思わせる動物的なしなやかさに、クラレットは目を奪われた。
ふっ、と手を下ろす、そんな何気ない仕草まで。つぶさに。

「俺、焦ってないから。だから、無理はしなくていいぜ?」

 ゆっくり行こうぜ?

その言葉に、初めてクラレットが驚きに紫瞳を瞬かせた。

「……もしかして…私を気遣ってくださっていたのですか…?」
「…あ……」

しまった、とばかりに硬直するハヤト。

 本当に呆れるほど、解りやすくて…そして正直な人、ですね…

自分の中の彼への感想が変わったことに、まだ彼女自身は気づいてはいない。

何も言わなかったから、解らなかった。
だから、自分の邪魔ばかりしているとしか感じなかった。
何も言わないその裏に、優しさが潜んでいるなんて思いもしていなかった。

騙されていることなど気付かずに、分け隔てなく差し延べる手と声は。
闇に生きてきた自分にも降り注ぐ太陽の光のようで。

唐突にクラレットは気づく。
自分と対極の位置に居る彼。
自分とは正反対の性質を持つ彼。
だからこそ、自分は彼に不満を持ち。
だからこそ、自分は彼に憬れているのだと。
それが、あの苛立ちの原因。

「あー…いや、うん。俺も、楽しかったし」

気恥ずかしそうに、鼻の頭を掻きながら、それでも本心からのそれだと解る笑みは、クラ
レットの心をほぐした。
苦笑でもない、まして愛想笑いでもない。
彼女本来の笑みを引き出す。

一瞬。

見惚れたハヤトが言葉を失ってしまうほどの。
儚げだけど、穏やかな。

 やっぱり、こんな顔もできるんじゃないか。

純粋に、嬉しかった。

「ありがとう、ございます」
「…あぁ、うん。こっちこそ」

慌てて、かくかくとぎこちなく頷いた、その理由に気づかず、小首を傾げてクラレットは笑う。
…開き始めた、花のように。





「な、クラレット?」

フラットへと戻る、既に歩きなれた道を歩きながら、一歩後ろを歩くクラレットへと声をかける。
まだ出会って数日しか経たないのに、もうずっと長年呼んできたように軽やかに。

「…はい?」

答える声は、阿吽の呼吸で返ってくる。

何故だか、それだけでとても心地好いと思えるほどに。

「また、一緒に散歩に行こうな?」
「…そうですね。明日の調べ物が終われば、ぜひに」
「!?」

クラレットの言葉の意味が解るまでに数瞬。
ハヤトはくるり、と後ろを向くと、屈託なく笑った。








なんかこれ、他のお題でも十分に行けたような…
「信じるよ」とか「初めて見る笑顔」とか「君と過ごす日々」とか…(ぐはっ)
え、と時期的にはまだ出会ったばかりの頃で3〜5話の間まで、かな?
ハヤトに対して疑心暗鬼的&敵意剥き出しなクラレットさんが、ぼのクラレットさんになっていく、
その瞬間の話ですね(笑)

ハヤトとクラレットさん。
性別は勿論、性格も対極で。
対極だからこそ、お互いに埋めあえるものあれば、反発したくなるものもあって。
このサイトでは後者をあまり書いてませんよね。
此処で初めて書いたけど…なんだか新鮮ですが、やっぱりほのぼのしてて欲しいと思いました。
(これが、ウチがぼのサイトといわれる所以か??)

イメージ的に反発をするのはクラレットさんで、ハヤトがそれをする、というのが考えられなくて。
そんな事は無いはずなのに、思いつかないんですよね。何故か。
だから、ケンカが無いのかな?此処では。
ケンカするのは有り得るけどしてほしくない。
書いていてそう、思いました。

これからも、「FFF」でのぼのな二人をお願いします〜(笑)


20050916UP



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