「ネスティさん!」

どばん!と激しい音を立てて、アメルが机を叩く。
さっきから彼女が声を掛けて来ていたのは知っていた。
だが、なるべく早く終わらせてしまいたい調べ物が有った僕は、聴こえない振りを続けていた。
その結果がこうだ。
まさか、彼女がこんな手荒な行動に出るとは、思っていなかった僕は、思わず、本を捲っていた手を止めて、彼女を見返す。
茶色に橙が混じったかのような、榛の瞳。

「さっきから呼んでいるのに、そんな態度はないと思います」
「僕は忙しいんだ。後にしてくれ」

以前の彼女なら、此処で引き下がったはず。
だがしかし、誰の影響なのか、彼女はまったく譲らない。

「嫌です」

そう言って、机に置いていた手を離し、躊躇いもせず、僕の手を掴んだ。
白くて小さく、温かで。そして…

「ネスティさんが、うん、と言ってくれるまで放しませんから」

出会った頃には無かった、強い意志を宿した瞳が僕を捉える。
やれやれ、これではどうも願いを聞いた方が早そうだな。
彼女の瞳と手の甲に添えられた手を交互に見、僕は仕方なく立ち上がった。

「解ったよ。君に付き合えばいいんだな?」

一瞬、その意味が解らなかったのか、きょとん、とした彼女だったが、すぐに笑みを取り戻した。

「はい!!」

何がそんなに嬉しいのか、僕には解らない。
だけど、決して不快ではない。
『天使の笑み』と言われるそれが、僕一人だけに向けられている事に、不満である筈が無い。





「ネスティさんとお買い物なんて、初めてかもしれませんね」
「そうだな」
「えへへ。嬉しいです」
「嬉しい?僕と買い物をするのが?」
「はい!」
「……そうか」

解らない。
『カタブツメガネ』と嬉しくもない肩書きを押し付けられる僕と一緒で嬉しい?
やはり、解らない。
 
何軒かの店を回り、最後の野菜屋で、主人と何かを談笑しているアメル。
まったく、僕も暇じゃないんだ。
こんな事なら、先に帰るべきか?
そんな事を思い、込み上げて来る苛立ちを抱える僕に、二人がふと此方を振り向いた。
ひと言ふた言、主人が何かを言い。
アメルはとても驚いた顔で一瞬言葉を失う。
だけどすぐに大きく頷いて、心底嬉しそうに何かを言ったが、僕には当然聴こえない。
それからすぐにこちらに戻ってくる。

「すみません、ネスティさん。遅くなっちゃいました」
「ああ…」

僕が些か不機嫌なのを感じ取ったのだろう。
一転、何処となく哀しげな笑みを浮かべると小さく呟いた。

「…すみません。無理に誘っちゃって…」
「何を今更」
「そうですね、本当に」
「僕が不機嫌になる、って解っていながら、どうしてそんな事をしたんだ?」
「言ったじゃないですか?」

榛の瞳が真っ直ぐに見上げて来る。

「ネスティさんとこうしてお出かけしたかったんです」

その言葉に嘘は見当たらない。
押し付けがましい優しさでもない。
在るがままの言葉。
以前はこの笑みもこの言葉も疎ましく偽善に思えていたが、今はそう感じない。
寧ろ、心地良くさえ思える。

「そうか」
「そうですよ。変なネスティさん」

両手で大きな荷物を抱えている所為で、口に手を当てられないアメルは、肩口に口元を当てるようにして笑う。

「貸すんだ。ひとつ、僕が持ってやる」
「え…い、いいですよ!!」

焦りながら、首を振る彼女に僕は、何故だ、と問い詰めた。

「だって、あたしが無理にネスティさんを誘ったんですし…」

言葉に詰まる彼女の頭をぽん、と叩いてから、僕は彼女の荷物のひとつを強引に取り上げた。

「男の僕が手ぶらで、女性である君にこんなに重い物を持たせているなんて、おかしいとは思わないか。
大体、本当に嫌だったら、どんなに頼まれても付いて来はしない」
「…え?」
「かと言って、強引なやり方には多少不満だがな。この埋め合わせは…
そうだな、帰って美味いお茶でも淹れて貰おうか」
「あ。は、はい!」

くるくると変わる表情。
これも、出会った頃には無いものだったか。

「…ネスティさん」

空いた手をじっと見つめ、逡巡した後、見上げて来る。

「なんだ?」
「もうひとつ、お願いしてもいいですか?」
「今更もうひとつくらい増えたって構わないが?」
「…!!」

晴れやかな顔で、彼女は僕の手首辺りを掴むと、こっちです、と言って引っ張り出した。





着いたのは導きの庭園。
その奥に有る、造られた小さな森の中。

「これは…」

紅葉。
木々が冬に備える為、不必要な葉を落とし、養分を蓄える一定の樹木の習性だ。
様々な形の緑葉が紅や黄金に色つき、舞い落ちる。
その鮮やかな風景の真っ只中。
アメルは舞い落ちる葉に手を差し出しながら、綺麗でしょ?と笑う。

「ああ…」

そうか。暦の上ではもう冬が来るんだったな。
融機人である僕には寒暖などの季節感は大した事柄ではないのだが。
こういうものを見ると、季節の移り変わり、と言うものを見せ付けられる。

「この前、此処を見つけたんです。凄く、凄く綺麗だからネスティさんにも見せたくて。
真っ先に見て欲しかったんです」
「どうして僕なんだ?」
「え?」
「僕でなくとも、君の誘いならいくらでも快く一緒に来てくれる人が居ただろう。
僕の機嫌を損ねてまで、何故僕なんだ?」
「………………解りません」

正直に首を横に振って。

「でも、一番にネスティさんに教えたかったんです。どうしても」

まるで答えになってないな。

「…ダメ、ですか?」

ほんのりと頬を赤らめて、俯いてしまった彼女。
僕は何も言わず、暫くは辺りの景色を見ていた。
ひらひらと舞う紅と黄金に染まった葉、あれは紅葉か。
おそらくは家に篭りっぱなしの僕に、季節の移り変わりや美しさを見せたかったのかもしれない。
まったく。
やりようは幾らでも有るだろうに。

「さっき、君が」

アメルが顔を上げたのが解った。

「僕を誘いに来たとき、僕の手を掴んだろう?
冷たい水で仕事をしている証が有ったよ」
「あ…」

恥ずかしそうに、空いた手を後ろに回す。

「君のその手に応えようと思って君に付いて来たんだが、思わぬ収穫だったな」
「収穫、ですか?」
「ああ」

こんな景色を見れた事。
思ったよりずっと喜怒哀楽の豊かな彼女の事。
首を傾げ、それが何かを考える彼女の手に、
先ほど密かに買っておいたクリームを握らせ、栗色の髪をくしゃり、と撫で回した。

「次からはちゃんと用件を言うんだ。そうすれば僕だって無下に断ったりはしない。
いいか、解ったか?」
「…は、はい!!」

瞳にうっすらと涙を浮かべ、会心の笑みを湛えるアメル。
その彼女の指を数本とって、軽く引いた。

「……帰るぞ」
「…………はい」

後ろにある表情は見えないが、何故か見えたような気さえした。

不思議なものだ。

僕が。
他人に心を許したことがない僕が。
こうして誰かの手を引くなんて。
他人に踏み入られて、腹立だしいと思わないなんて。

不必要な葉を落として新たな葉をつけるように。

僕は。
新たな自分に変われるのだろうか。
少し前までなら、有り得ない、と否定し続けた思いが。
今なら叶いそうな気がする。
少しだけ手に力を込めると、確かな温かさが伝わってきた。



       この存在がある限りは…きっと、僕も。



      おまけ?




絵板で書いたものを修正してのアップです。
ネスティとアメルってマグトリ挟んで好敵手の関係が好きです。
が、このようなほのぼのだって大好きですとも!
二人でいがみ合うより、笑ってくれた方が何倍も良いに決まっています。
ネスティはマグナやトリスには心を開いているけど、本質の所でまだ頑なで。
アメルさんは頑なな彼の心を解き解して行く役割を持っていると思います。
マグトリや他の仲間達が行けなかった場所まで、すぅっ、と入っていくのではないかと。
そう考えています。
しかし、此処までマグトリ出さなかったネスアメ話は初めてですね。

この話は、これを書くきっかけを下さった
「bullet」のソウナギさまへ捧げます。
(よ、宜しければ、ですが。どきどき)
煮るなり焼くなり川に流すなりお好きにしてください。
ただし、食してはいけません。必ず腹を壊します(苦)


20041201UP



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