力強く。 軽やかに。 それは、しなやかな。 「……ん」 何かに揺り動かされて、クラレットは薄く目を開けた。 うすぼんやりとした意識は、頭部への鈍痛によって覚醒する。 「う…」 重い身体を起こし、ようやく自分が机に伏せたまま眠っていたことを思い出す。 ゆっくりと窓に目をやると、カーテンのすき間から零れる闇は深く、自分が眠っていたのは、ほんの束の間だった事を知る。 のろのろと立ち上がる。 熱い。 頭が痛い。 気分が悪い。 喉が渇いた。 …怖い。 たくさんの感情が綯い交ぜになる。 自分の感情は今、正常に稼動していないのだ、と遠くから冷静に見ている自分をも僅かに認識できた。 ゆっくりと部屋を出て、台所へ向かう。 真っ暗な室内。 軋む床。 何時の間にか、当然のように歩き慣れた廊下を、そっと進んだ。 台所もやはり暗かったが、いつもリプレが何処に汲み置き水を置いているか、それも当然のように知っている。 グラスを取り、水を注いで――― 一気に喉の奥へと流し込む。 「…はぁ…」 少しだけ、心が落ち着いた気がする。 だが、身体の熱は一向に引かない。 むしろ、身体の奥から、心の底から。 何かが湧き水のように、こんこんと溢れてきて止まらない。 これは、力。 純粋な。 「これが…『護界召喚師』の力…」 胸に当てた手を、ぎゅ、と握りしめた。 彼が『誓約者』の名を与えられたように。 同時に。 『護界召喚師』の名を与えられた自分。 「…私が…?『護界召喚師』??」 その場に誰か居たなら、彼女が浮かべた笑みに言葉を失くすだろう。 それほどまでに冷めた、虚ろな笑みだった。 言われるままに、疑いもせずに魔王となりて世界を滅ぼそうとしていた自分が。 『界を護る』とは、気の効き過ぎた冗談のようだ。 彼ならば。 人望厚く、真っ直ぐで優しい彼ならば。 『魔王』ではなく『誓約者』が相応しいとは素直に認められるのに。 だが、事実だ。 自分は彼と共にエルゴに認められた。 彼と共に学び、見聞し、歩くことを。 クラレットは苦痛に顔をゆがめた。 自分にとって、事実はもうひとつ存在する。 エルゴはこれを見越して、自分に『護界召喚師』の名を与えたのだろうか? 確かに、エルゴからの試練は終った。 だが、己に課せられた試練は重さを増すばかり。 少しでも気を抜けば、その重さに崩れそうになりそうなほどに。 フラットとオプテュス…いや、バノッサとの深く酷くなる争いは。 引いては自分と、魅魔の宝玉を用い、バノッサを操るあの人との争いでもあった。 「いや…」 何時か、あの人は自分たちの前に出てくるだろう。 その時に、自分の素性は総て知られてしまうだろう。 魔王となることも出来ず。 彼の力の判別も出来ず。 出来損ないの半端者として、あの人は自分を見捨てる。 血は繋がってはいても、あの人に優しさも慈悲も存在しないのは、幼い頃から知っていたことだった。 同時に。 嘘も隠し事も総て暴かれ。 懐疑と不信の眼差しに射ぬかれ。 裏切り者と蔑まれるだろう。 温かい、と感じていたこの場所を自分は失う。 自分は。 魔王にもなれなかった。 護界召喚師の資格などない。 これらは。 当然の罰なのだろうか… 鈍痛が走る。 頭に、身体に、心に。 もう、これ以上考えたくないと悲鳴を上げている。 だが、事実だ。 もはや、あの人との対決は避けられない。 例え、父と呼んだ人であろうとも。 それは覚悟していたこと。 私は、あそこよりあの人より、此処を彼を選んだ。 選びたい。 お願いだから… どうぞ、信じて―― 心の中で叫び返していた。 決して決して免れること叶わない―――― それが、解っていても。 ぐぅっ、と何かが込み上げて、必死に口に手を当て堪える。 熱い。 寒い。 気分が悪い。 頭が痛い。 ―――たすけて―― 「…たすけて…たす、けて…」 脳裡に映る人。 心を占める人。 眩しすぎて、苦しすぎて。 その名が呼べずに、ただ蹲った。 どれくらいの時間が経過していたのだろうか。 暗闇の中、クラレットは立ち上がる。 ふらり、と台所を後にした。 此処に居ては、誰かに見つかるかもしれない。 だが、部屋になどには帰れず。 重い身体、重い心、虚ろな眼差し。 昼間なら様々な声で彩られ、賑やかなフラットも静かに寝静まっている。 その中を。 ただ、彷徨う。 何時かその足は、玄関をくぐり、外へと向けられる。 何時もなら眩むほど輝く月の姿も、今宵は無い。 自分の荒い呼吸と、擦るような足音。 それ以外、何も聴こえない。 聞く余裕すらも無かった。 灯りひとつ点いていない建物の外周をぐるり、と回り。 薪割り用の切り株や、洗濯紐のある一番広い場所へと近づいた時。 ひゅん。 微かに空気を裂く音。 じゃりっ。 きつく砂を踏み締める音。 それは、クラレットの耳にも届いた。 思わず足を止める。 「あ…」 はっきりと、視認する。 幅広の、大剣と呼ぶに相応しい刃。 裏腹に、細く握りやすさを重視した柄。 彼の為に作られた、彼の為だけの、彼専用の特殊な剣が。 闇の中でも煌いている。 あの動きを知っている。 見た事が有る。 確か、ラムダやレイドに教えを請うていた。 その時ぎこちなかった動きは。 今はもう、水を得た魚のように。 力強く。 軽やかに。 それは、しなやかな。 目を奪われるほど。 凍てついた感情をも熱く溶かすような。 ひゅん。 剣の腹を上にし、右腕と左腕を交差させて、刹那止まる。 その時に、ようやく解った。 「魔力…」 剣を薄く包む魔力。 それは満遍なく行き渡り、安定している。 こんなこと、彼には出来ないはずだった。 どちらかと言えば、落ち着きの無い彼は安定した魔力を長時間維持できず。 召喚術よりも剣を得手とした彼が。 まして、他の物の上に魔力を上乗せするなど。 これが『誓約者』の力の一端なのか、と思わせるほどに。 恐らくは。 彼も自分と同じなのだろう。 自分が『護界召喚師』として、自らの力に人成らざる何かを付加されたように。 『誓約者』として目覚めた彼は、急激に手に入れたその大きすぎる力を持て余しているのかもしれない。 それでも。 剣が中空を切るたびに、金色の残像が煌めく。 一振り一振り、鮮烈に、躊躇い無く繰り出される切っ先は。 金色の光を以って闇夜を切り裂く。 顎からは汗が滴り。 唇を引き締めた顔は真剣そのもの。 一途なまでのその剣舞を。 クラレットはただ、見つめていた。 ―――ああ。あのように。 迷いが無いわけではないだろう。 その力の大きさに。 戦いを是とすることに。 それでも、受け入れようと受け止めようと。 自分に出来ることには手を尽くそうと。 彼は彼なりに足掻いている。 「――私も、あのように…」 金色の光を。 鋭い切っ先を。 目に、焼き付ける。 心に、縫い付ける。 「私も、貴方のように…」 強く、在りたい。 身体が震える。 魂が震える。 その瞬間を思うだけで。 簡単に迷いなど消えない。 簡単に恐れなど消えない。 それでも。 彼の剣が闇を切るように。 何時か、この心の闇をも切れる強さが持てるかも知れない。 あの人の束縛を断ち切り。 信じて貰えなくても良い、真実を伝える力を。 それは。 自分の闇を越えていく力。 ようやく胸に点った温かさを抱きしめて。 クラレットは微笑する。 一心不乱に剣を振る彼に、声を掛けるなどという無粋な真似は出来るはずも無く。 明日は勉強ではなく、アルク川にでも行ってみようかと思う。 自分にとっても、彼にとっても気分転換くらいにはなるだろう。 なんでいきなり?と首を傾げる彼の姿が、今からでも容易に想像できる―― そっとその場を離れて。 瞼に浮かぶのは。 心に鮮やかに蘇るのは。 剣を振る彼の姿。 闇を切り裂く金色の光。 欲するのは力。 この暗闇を一人で乗り越えていく力。 焼き付け、縫い止めたそれらは、彼と同じに惜しみない後押しをくれるだろう。 だが、自分で歩いて行かなければ意味を成さないのだ。 そう自分を戒めるクラレットは、自分が既に過去には持ち合わせては居なかった力を手に入れたことに気づかない。 力強く。 軽やかに。 それは、しなやかな。 唐突に思いついて一晩で書き上げた話。 結構、気に入っておりますが、自分で良い出来だと思えるものって変わったものが多いんですよね… シリアスとかも多いし。 ハヤトにも苦悩も葛藤も闇も有るでしょう、でもその深さは彼女の方が数倍も深い気がします。 それはハヤトやフラットの皆がどんな言葉を投げかけても、彼女自身が抜け出そうと思わない限りは決して届かない。 その変わり始めた彼女の裡が少しでも感じていただければ幸いなのですが。 サモンナイト、というゲームは主人公以上に、パートナーの成長記録なのだともプレイしながら感じます。 もっとも…「2」とかに比べれば、そのわりにパートナーの扱いはやや、低いのは否めませんが(苦笑) 個人設定で大変申し訳無いのですが。 『誓約者』の力はエルゴによって引き出された主人公本来の力。 『護界召喚師』の力はパートナーの本来の力に、エルゴによって強化・付加された力。 自分以外の力が追加されてしまった、という設定です。 『誓約者』には劣るものの、圧倒的な…通常の召喚師では手に追えない力の持ち主と位置づけています。 (普通の召喚師に引けを取るようでは、とても『界』は護れませんしね…) 20050919UP ←17・約束 Top 19・君を、想う→ |