…話には聞いた事が有ります。

私がまだ、父上の操り人形だった頃。
その元へ帰る為に、幾日かフラットを空けていた時に此処を訪れていたという、ミニスさんの実母。
そして、このサイジェントを取り仕切るマーン三兄弟の義姉。

金の派閥の議長、ファミィ・マーン。

聖王都ゼラムに居る、調律者とその仲間達と共に悪魔メルギトスを封印して数ヶ月。
彼女とミニスさんの突然の訪問に、フラットは沸きかえっています。
皆に囲まれて笑う二人を遠目に見ながら、私は別のことを考えていました。

 どうして、今頃そんな方が此処に来るのでしょう…

私の心で起き上がったのは、冷たい感情。
心を押し殺そうと、操り人形を演じようとしていたあの頃の。
 
 まさか。

自分の顔が強張ったのが自分でも解ります。
 
 まさか、私を。

冷や水を掛けられたみたいに身体が急激に冷えて行って、震えが止まらなくなってしまって。
それでも目を背ける事が出来ず、彼女を見ていた視線に突然絡まる彼女の視線。
にっこりと優しく微笑んでくれましたが、私にはそんな余裕なんか有りません。
彼女は皆の間を縫い、少しずつ私に近づいてきます。 

彼女から目を逸らせない私が見てるのは、過去。
そう、何度も何度も、数え切れないほど同じ光景を見ました。
つかつかと歩み寄って来て、右手を思い切り振り上げる−−そして。
逃げ出したいのに動けない私の前で彼女は立ち止まります。
そして同じように右手を上げます。

 やっぱり!

肩を竦め、思わず目を瞑った私に、何時まで経っても想像していたような衝撃は来ませんでした。
代わりに、頬に触れる柔らかさと温かさ。

 え…?

恐る恐る目を開けた私が見たのは、間近にある、頬に触れた手と同じだけの柔らかさと温かさを持った微笑み。

「遅くなってしまったけど」

彼女は言います。
   
 澄んだ声で。
 優しい声で。
 良く通る声で。
私の心の中にまで響いて、訴えかけて来る柔らかな…音。

「この間はたいへんだったでしょう?本当に有り難う」

……私に、礼を?
 
 どう、して?

だって、私は、あの狂気の派閥の一員。
魔王降臨を目論んだ一人。
メルギトス復活のきっかけを作った愚か者。
…あの人を此処に呼び寄せてしまった咎人。

「……あの…私は…」

私の声を人差指で遮って、彼女はゆっくりと頭を振る。
そしてそっと私を引き寄せ、頬に触れていた手は、優しく前髪を掻き分ける。

「頑張りなさい」
「……!」
「貴女はこんなにも皆さんに愛されているのだから」
「…っ」

そう囁いて、私から手を離しました。
私は温かさの残る自分の頬に触れ、彼女の背を見ました。

「…とう、…ます」

何時の間にか、あの寒気が無くなっている事に気がつきながら私は、言っていました。

「有り難う、ございます…」

私の言葉に、もう一度振り返って笑ってくださったあの笑みを、私はきっと忘れません。

 −有り難うございます−


日野司様が描かれた姫とファミィさんの絵を拝見して、そのシーンから思いついた話です。
上手くいった貴重な、お気に入りの話でも有りました。
クラレットさんの独白タイプ(一人称)の話はこれが最初で最後ですね。意外にも。


20040202UP



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