「おぅい、クラレット」 野太い声に、クラレットは読んでいた本から顔を上げる。
予想どおり、と言うべきか、当たり前、と言うべきか。
その声の主、エドスがにこやかに手を上げた。「……?」
確か彼は今日は仕事だったのでは?
少し怪訝な彼女の表情でそれを察したエドスは何時ものように、真っ黒に日焼けした顔で闊達に笑う。
「今日は少し早く終わってな。それより、お前さん一人なのか?」
「ええ、みなさんお出かけになりました。私は留守を預かっているところです」
「…そうか」顎に手をやり、むぅ、と唸ってから、視線を彼女へと落とす。
彼女の前のテーブル。
其処には何冊もの分厚い、豪奢な装飾が成された本。
広げられたままの一冊には、とてもではないが理解不能な文様と文字で埋め尽くされていた。
ガゼルでなくとも、頭が痛くなる。こりゃ、本見たさに留守を買って出たか。
口の端をにんまりと上げて、エドスは細い肩にグローブのような手を置いた。
「いい若いモンが昼間っから家の中とは、感心せんぞ。
どうだ、ヒマならワシに付き合わんか?」
「え…?ですが…」肩に置かれた自分の倍は有りそうな太い指と、分厚い掌。
其処から香る微かな鉱物と陽の匂い。
いきなりの申し出に戸惑いながら、それでもなんとか言葉を紡ぐ。「私は…留守を預かっていますので…」
「誰が入ってこようと、取られて困るようなものなど有りはせんからな。
それとも、ワシに付き合うのが辛いなら、無理には誘わんぞ。断ってくれればいい」
「…ええ、と。それ…は…」弱い、と思う。
此処の人たちはみんな、疑う事を知らないみたいに屈託なく笑う。
それが心地良かったり、酷く心に突き刺さって痛かったり、と作用は様々だったが、決して不快なものではない。
むしろ、見てみたい、と思うほど。
出来るのであれば、絶やさないで居て欲しい、と思うもの。「…解り、ました。お付き合いさせて頂きます」
「おお!そうこなくてはな!」自分より六つほど年上の彼は、子供のように無邪気な顔で破顔した。
連れて来られたのは、アルク川。
良く此処で昼寝の為に訪れるエドスが持って来たのは釣り道具。
今日はお前さんの相方の代わりに、ワシとお前さんとで大物を釣らんか?そう言われて付いては来たものの。
よくよく考えればその「相方」と釣りに来た事など殆ど無かった事にクラレットは気付く。
どうしてなのでしょう、と考えを巡らせて、思い当たる節がふたつ。
何時も読書や調べ物に追われる自分に気を使っていてくれた事。
そして、誘って貰えてもにべもなく断った事が数回有った事を思い出す。…勿体無い事をしてしまったみたいですね。
空も緑も目に痛いくらい眩しい。
頬を擽る風もと、暖かな日差しが気持ちいい。
なにより。
あの人の声も姿もこんなに近くに在ったはずなのに。
そう思うと少し悔しくて、今度からは絶対について行こうと心に決めた瞬間。「来たぞ!」
釣り糸を垂らしていたエドスが、竿をぐっ、と引く。
細くて柔らかい竿は、折れそうなまでに弓なりに撓り、針に掛かった魚が大物だと言うことを、容易くクラレットにも伝える。
水面下で暴れる魚は大きな水飛沫を上げて。
意外な大物に、力自慢のエドスも顔を高潮させて。
クラレットも思わず息を呑み、心を高揚させながら、魚が居る辺りをじっと見つめる。「うおりゃ!」
気合一閃。
太い腕に強引に引っ張り出され、水飛沫を撒き散らしながら魚は宙を飛ぶ。
どんな大きな魚だろう、と近寄ったクラレットはその姿を確認して、止まる。「おお。こりゃ、にゃん魚だな」
「……にゃ、『にゃん魚』…?」確かにその直球なネーミングのままに、上半身はネコ、下半身は魚、という可愛くも奇怪な姿の生き物。
到底マトモな魚の一種には見えず、眩暈を起こしそうになるクラレットに、エドスはほくほくと微笑んだ。「おお。こいつは結構な珍味でな。これだけ大きければ食い甲斐もあるってモンだ」
「…た、食べるんですか……?」信じられない、といった彼女の台詞に、大きく頷く。
「上半身はから揚げ、下半身は煮付けるとなかなかイケるんだがな」
決定的な言葉に、さあっ、と血の気が引いて、思わずその場に崩れそうになる。
「や、止めませんか…?」
「そうかぁ?見てくれはアレだがな。結構旨いぞ」
「わ、私はエンリョしておきます…」
「むぅ、惜しいな」本気で青ざめているクラレットに気付き、すまんかったな、と大きな手でぐりぐりと彼女の頭を撫で回し、にゃん魚を川に戻した。
申し訳ない、と思いつつ、ほっ、としたのも束の間。
何故か今日掛かる獲物は、タコやにゃん魚ばかりで。
それらが上がる度に、悲鳴のような声を出すクラレットが居た、という話。そして彼女がちゃんと夕食にありつけたかは…疑問の残るところでは有るが。
「クラレット。一緒に釣りに行こう?」
「絶対絶対絶対!タコとにゃん魚だけは釣らないで下さい!!」
「え……あ、うん。努力、する…よ?」
「姫とフラットの仲間達」という組み合わせは普段自サイトで書く事がないので、
祭りの間は頑張って書きました。
その中でもこのエドスとの絡みは意外中の意外で。
主催者様には結構喜ばれていたようですが。
エドスの人柄の所為か、書き出すと止まらず、一気に書き上げました。
「アメとムチ?」「クラレット着替え大作戦?」に続く書き易さ三大作品のひとつです。
楽しかったなぁ。
タイトルもかなり気に入ってます。
20040211UP
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