「…はぁ」

 もう何度目かも判らない溜息を吐いて空を見上げる。
快晴。
『憎いほど綺麗な空』というものかもしれない。
既に詠み終えてしまった分厚い本をぱらぱらと捲って…ぱたん、と閉じる。
 此処はアルク川。
今は季節が良い。
もう寒くなく、だけどまだ暑くもなく。
柔らかな新緑の芽が露出している足首の辺りをくすぐる。
風が長い紫の髪を弄んでは通り過ぎていく。
 …こんなにもいい時節なのに。
何故かいるのは自分一人きり。


「ああ、クラレット。今日は大掃除をするから。悪いけど、外で時間を潰してくれる?」

片手に掃除道具一式を持って、ぱたぱたと駆け回るリプレ。
当然、手伝います、と言ったその答えに、いいからいいから、今日はゆっくりして頂戴。
天気も良いしね、と殆ど追い出された格好になってしまったクラレット。
 何時もなら、殆どの行動を共にする『あの人』の姿も何故かなく、一人で繁華街や
商店街に出る性格でもなく、仕方なく此処で時間を潰している有様。


 土手に座り込み、本を傍らに置いて、クラレットはまた溜息を吐く。
 
 どうにも落ち着かない。

本来自分はこんな静かな空間を好むのに。
落ち着かない、とはどういう事だろう。
 自問自答。
答えはすぐに出てくる。
『あの人が居ないから』『此処にはあの喧騒が無いから』
そして、自分の導き出した答えに驚く。
驚いて…ひどく納得して…それから笑う。

 私も随分と感化されたものですね…

認めざるを得ないもの。
嬉しい変化。
トラブルもアクシデントも絶えない日常に慣れて行く自分が居る。
それを笑って受け流す自分が居る。
…少しだけ、好きになれた自分。

緑の絨毯に横になり、目を閉じる。
意識が沈んでいくまでに、そう長い時間は要らなかった。


―幸せ?ふん、愚かな。貴様などがそんな物を手に入れられる筈なかろう?―
―なにせ、お前は魔王となる者―
―世界を蹂躙する者―
―恐怖の瞳でお前を称え、蔑み、憎み、恨むのだ。愉快だろう?―
―数いる兄弟たちを手にかけてまで、お前は魔王となる事を選んだ―
―誇りに思うが良い。このセルボルトの名を!―
―怯えるが良い。貴様はこの血から決して逃れること叶わず―
―貴様に安息の地など、帰る場所など在る筈もない―

「―――――!!」

飽く事無く繰り返される呪詛の言葉に、声に成らぬ声で悲鳴を上げた。


「!!」

ぱちっ、と開いた目に真っ先に飛び込んで来たのは、真っ赤に染まる夕焼けと東の空から迫る青い闇。
空を見つめたまま、ただ動けず、かちかちと震える唇。

 わた、私、は……

もう、この呪詛を嬉々として唱える人は居ない。
終わったのだから、あの時。完全に。
それでも、幼いうちから埋め込まれた『恐怖』という名の芽はまだ心に根付いたまま。

 気付かれてはいけない。あの人にだけは絶対に。

知れば、優しいあの人の顔は必ず曇るから。
息を吐き、心を落ち着け、手を額に当てた時。
頭上で声がした。

「あ、クラレット起きた?」

聞き覚えの有りすぎる声。
今まさに自分が思っていた人の声。
そして、その顔。
ひょい、と上から覗き込むあの優しい瞳。
柔らかく微笑む唇。
紡ぎ出される温かな、声。

「キミがこんなところで寝ていたなんて、びっくりしたよ」

言いながら彼女の足元へと回り、右手を差し出した。

「…何時から居たのです?」

動揺を押し殺し、平静を装う彼女に気付いた気配は無い。

「結構前から、かな。キミが気持ち良さそうに眠っていたから、起こすのが勿体無くって」
「…起こして下されば良かったのに」
「さすがに、もうそろそろ起こそうかな、とは思ってたよ。日も落ちて寒くなってきたし」

おずおずと差し出された手をしっかりと握って彼女を引っ張り起こす。
ぱたぱた、と服をはたく彼女の傍らの本を手に取り、ぱらぱらと捲って…微苦笑。

「キミはこんなところに来てまでも勉強?」

 敵わないな。

本を小脇に抱え、改めて右手をクラレットへと差し出す。
そして、言った。

「帰ろう?」
「え…?帰る、って何処へ?」

 私には、帰る場所など在りはしないのに?

「何処って…フラットだよ。帰る場所はあそこしかないから」

 お互いに、ね。
 それとも、まだ寝ぼけてる?

近いはずの声が遠い。

 私は帰ってもいいのですか?本当に?

ぼぅっと立ち尽くす彼女の手を取り、引っ張った。

「帰ろう。みんな、待ってるから」
「…みんなが、待ってる…?」

虚ろに問った言葉に、変わらない優しい笑みが大きく頷いた。

「あ、二人とも帰って来たよ〜!」
「おお、遅かったじゃないか」
「…おかえり、なさい」
「ほんと、心配したんだから」
「よぉ、ジャマしてるぜ」
「相変わらず、仲がいいわね」
「遅かったじゃねぇか。ああん?」

フラットの門の前で出迎えたのはたくさんの人たち。
フラット、アキュートを初めアカネとシオン、イリアス、サイサリウス、カイナにカザミネ、
ギブソンにミモザ、そしてなぜかマーン三兄弟。

「…な!どうして、みんなが此処に?」

当然の質問に、歩み出てきたリプレが答える。

「今日はあなた達二人が此処に来た日、なのよ」
「え…?」
「だってさ。こっちもすっかり忘れてたよ…」

傍らで肩を竦める。

「でも、それでどうして集まっているのですか?」
「それはな」

エドスががしっ、と二人の肩を抱き寄せる。

「ワシらには、いやこの街総てに、お前さんたち二人の存在が大切だって事さ」
「この世界に来てくれて、有り難うございます」
「アンタに会えた事感謝してるぜ。あんがとよ」
「ありがとうですの。マスター、クラレットさん」
「お前達がいたから、俺たちも道を間違えずにすんだ」
「ほっておけるわけないよねー、この二人を」
「憎いガキどもだが、それなりの功績は認めてやろう、と言ってるんだ。このイムラン様がな!」
「というわけで」

『お帰り!!!!!』

大合唱の一言に、二人は顔を見合わせ、微笑む。
それから、心を込めての一言を。

「「ただいま!」」




最終日にはこれを書こう、と決めていたのに、(途中外出した所為も有りますが)意外に時間を取られて、
間に合うかはらはらしながら書きました。
幸せの形、などと言うものは千差万別ですけど、姫のウエディング話なんて思いも寄らず。
他の参加者様のステキ絵と小説に「そうか、しまったぁ!?」と叫んでしまいましたとも。
そう思いながら書きましたね…そう言えば。
そして、これで終わりかぁ、と寂しく思いながら書いたような…
まぁ、どちらにしろ私にはウエディングなんて書けませんけど(開き直り)
突発的な話が多かった中で、決めていた貴重な、渾身(?)の祭り最後のお話です。


20040215UP



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